「へいへい、」

『ごめんな、今何してた?』

「今か?今稽古の休憩中」

『そっか』

「お前こそ何だよ」

『ちゃんと荷物が届いたかと思ってさ』

「ああ、届いたぜ。わざわざ日付の指定までしたのかよ」

『はは、まあな。今日中に届けたかったから』


 縁側に腰掛けたまま、眩しく照らす傾き始めた日を視界の端で確認しては目を細める。白い日の周りをゆっくりと雲が流れていく。久しい晴れ間だ。しかしじんわりと地面から忍び寄るように熱い空気が彷徨っている。表の方からは祖父が稽古に来た子供らの為に大きな貰い物のスイカを切ってやると言っていた、そのきゃあきゃあと騒がしい声が聞こえている。


「わざわざ悪かったな、なんか」

『…にあわないな、そういう台詞』


ちょっと大人になったか、と、携帯電話の向こうの相手──高槻涼は聞き慣れた、しかし酷く懐かしく響く声で可笑しそうに笑った。隼人はうるせえ、と同じく笑いながら言ってやった。てめえは益々老けたか、と。


「暑いな…」

『暑い?外に居るのか』

「縁側に居る」

『ちゃんと水分取れよ』

「…オフクロみてーだな」

『あ、皆元気か?』

「相変わらずだぜ。そっちは?」

『相変わらずだよ。もう半年経ったけど、同じようなことばっかりしてる』

「何だそれ。退屈してんのか」

『いいや、別に。楽しいけど、同じようなことばっかりしてる』


 電話の向こうの口調は退屈さは微塵も感じさせないようなものだった。だからやはり、同じようなことを繰り返しているわけでもあるまい。
隼人は検討もつかない彼の住居であるらしい小さなアパートを思い浮べた。それでもいつも真っ先に思い浮かぶのは、初めて彼が寄越したデジタルカメラの印刷のポストカードの、一見すると何かも分からぬような真っ青な空と雪山の写真だった。


「最近も山行ってんのか?」

『明後日からまた登る予定』

「へえ」


最初から手元にあったペットボトルの水を取り上げ口をつけた。既に半分くらいになっていた中身がちゃぽん、と揺れた。


「あ、こっちじゃぼちぼち蝉が鳴きだしたぜ」

『本当か?こっちには蝉は居ないからな』

「へえ…、蝉居ねえのか」

『年中良く似た気候だからな』

「そっか」


 半年前、最初に電話をかけてきた相手は酷く疲れた様子で、よく早速日本が恋しいと言った。日本からの荷物で味噌と醤油が届いたのが嬉しかったとかも聞いた覚えがある。その間自分はというと毎日のように稽古を続けてはあちこちに遠征に出たりしていたわけだ。
 大学には進まなかった。自分には向かないであろうと思ったからだ。電話の向こうの相手は大学へ進んだ。だから今遠い海の向うに居るのだから。双子の姉妹も進学した。武士はサッカーをしている。
 それぞれの方向を辿りながらもやはりどこか繋がっている、繋がろうとしているところがあって、割りと頻繁に会う。


「今日はさ、あいつらと会うことになってんだ」

『それは良いなあ。俺の周りは薄情にもみんな出払ってるよ』

「恵たちがケーキ作って持ってくるって言ってた」

『あー…、良いなあ、それ』


ふーっとため息混じりに言った。隼人はまた太陽の光をじっと確かめるようにして瞬きをした。桶に水を入れて持ってきて、足をつけてみようか。


『楽しそうじゃないか』

「ああ。楽しいぜ、多分な」


 楽しいだろうよ、だからお前も、そんなわけわかんねー山とか行ってねえでさっさとこっちに帰ってこい。隼人は庭の隅に壁に立て掛けるようにして置いてある金属の桶を見ながら笑って言った。電話の相手は瞬間移動が出来れば良いのに、と普段あまり言わないようなことをぼやいている。よほど寂しいのだろうか。


「寂しいのか?」


 隼人は桶を取りに縁側を立ちながら言った。踏みしめた足の裏はサンダルとでじんわりとまとわりつくような疎ましい熱さを持っていた。いっそ裸足で歩こうとサンダルを立ち上がったその場で脱ぎ捨てる。


『寂しいよ、当たり前だろ』


相手は似合わず少し拗ねたか怒ったような声色で言い返してきた。隼人はそれが可笑しくて直射日光で熱くなった金属のうつわを拾い上げながら笑った。
寂しいに決まってるだろ、そんなのは。家に帰ってもひとりだし、まあ自炊は出来たから良かったけど。テレビでは日本の名前程度しか出てこないし。


『抱きまくらもないし…』

「…おいおいてめー何の話だよ」

『そりゃもう寂しいよ。夜は特に…こっちは寒いし、恋しいんだよなあ…』

「やっぱお前帰ってくんな!」

『はは、ひどいな』


 ああ、それでもどうしてこんなにも懐かしく感じるのであろうか。
まだたったの半年のことだ。一年経ったら戻ってくることになってる。それでも、毎年恒例の花見も、市内のプール開きも、彼女の墓参りも、梅雨のじめじめとした日々も、日々の細かいことも。そしてこれから先の正月、盆、花火大会、その他色々なことの傍に彼が居ないかもしれない。
 短い間だった。ほんとうに短い、それでも過ぎた日々は何年分にも相当するほど濃密だったのであろう。染み付いて取れない空振ってしまうからだの左右の隙間、それはまさに寂しさでしかないのだ。


「お前、盆には帰ってくんだろ」

『分からないけど、多分。ユーゴーにも挨拶しないと』

「だな。帰って来いよ」

『そのつもり』

「帰って来いよ、絶対」

『…ああ』

「待っててやるから、帰って来い」


 隼人はいつのまにか顎にしたたっていた汗のしずくに気がつき、手の甲で拭った。ホースを持ってきて蛇口をひねり、桶の中に水を注いでいく。いつだったか、夏休みの末に、俺の課題を埋めるのに同じように足を冷やしたことがあったっけ。あいつが居なかったら、間違いなく提出なんか出来なかった。もとい、提出する気なんか無かった。
 近くに居ないと居ないだけ、普段よりもっと複雑に色々と考えめぐらし些細なことでも思い出して恋しくなるのだ。


『そっちに居たころよりもな、』

「ああ?」

『だから、そっちに居るころよりもずっと、』

『こっちに来てから思い出すことが多くて』

「そうかよ」

『うん。恋しい、絶対帰るよ』

「そうしろ。みんな待ってるぜ」

『みんな?』

「俺も、…待っててやるから」

『隼人、誕生日おめでとう』

「ああ、そっちもな」

『ちゃんと言ってくれよ』

「…おめでと」

『ありがとう』

 酷く嬉しそうに言う声を聞きながら、隼人は並々と水を注いだ桶に足をつけ縁側に再び腰掛け、その後もまだまだずっと、日がすっかり落ちてしまうまで延々と、稽古の続きには出席せずに電話の向こうと会話を続けた。いくつも同じ言葉ばかりを喉に留めたままで。
 なあ、だから早く帰ってこい、次の誕生日はきっと、一緒に祝ってやるから。
 恋しいのは、俺も一緒。





























●2007年07月05日 
 彼は登山家になるつもりは無いと行っていたけれど、選んだ先の大学のちょっと風変わりな先生に気に入られて、
ほとんど半ば無理やりどっか外国に一緒に連れて行かれて山に登ったり色々調べたりしてればいいと思っていたんですヨ(笑
日本に帰ったら自宅より先にお土産もって新宮家を「ただいまー」と尋ねる高槻。そして「おかえりー」と出迎える新宮家の面々。
 みんなお誕生日おめでとう。ごめん、りょうはやで。