「良いものばっかり食ってるからあんな豚みたいになるんだ」
涼は準備されていた夕餉をまるで汚いものでも見るかのように見やると、その横をさっさと通り越して無粋に襖の縁も踏んづけて歩いた。出来るだけ賊の人間も家の人間もいないところを選んで歩く。装束はあえて着ていない。
その日、その大きなそこら一帯でも有名な性悪の大金持ちの屋敷に入り込んだときも毎度同じように急いで部屋の──大抵家相なんかで屋敷の主のいる場所は分かるし、今までさんざ忍び込んでいるのでどこに何があるかも分かっているので、遠回りしながらそこを目指す。
ただひとつ普段と違ったのは、彼が堂々と廊下を歩いているというところ。運が良いことにその晩はたまたま賊が入り込むというのを耳にしたのだ。騒ぎに紛れて目標物を探す。涼にとって賊は良いものとも思わないが、決して悪いものでもない。薄汚い着物を着て無粋に髪を乱せばあっというまに「それらしい」人間になれるし、何よりも部屋をめちゃくちゃに引っ掻き回すので欲しいものを先に見つけておいてくれるときもある。どこにあるか分からなくさせるときもあるけれど。おまけに字が読めるものが少ないし、金目のものにしか興味が無く真に価値があるものも分からないと見える。涼が欲しいのは金目のものではなく大抵何らかの権利書だとかその屋敷の主人と役人とのごたごただとか、「あんまり聞こえの宜しくない物事の証拠」になる紙切れだったりした。
その日も屋敷内の女が犯されそうになってあげる叫び声だとか賊が物を引っ掻き回す騒々しい音を聞きながらずかずかと廊下を歩いた。途中うっかり賊に見つかったが、この奥にはそれらしいものはないぜ、と言うとそうか、と答えてどこかへ行ってしまった。
(仲間の顔も満足に覚えられないような阿呆が多くて助かる)
やや自嘲気味に口の中で呟くと既に捜索がなされた後であろう屋敷の主の部屋へと向かう。どこもかしこもおかしな叫びと笑い声で満ちている。仕事は楽になるが今度こそこういうところへ飛び込むのは止めようか、とも思っている。しかし止めよう止めようと思いながらこんなことはこれで六度目であった。目の前にちらつく「楽」の字はどうも取り払えない。
長い廊下を進む途中、どうにも奇妙な部屋の前を通り過ぎた。板の壁に嘘のように馴染んだ扉があるのだ。かすかにちょうど良い位置に人の指や爪の後がある。当然荒らされた様子は無い。はて、と思わず興味に駆られ扉に手をかけた。案外軽く、するりと扉は横にすべる。
「あ、」
我ながら間抜けな声が出たものだ。はっ、と口をつぐむとそこは窓も無い六畳ほどの小さな座敷の中、驚いた表情の──酷く中世的な顔をした同じ歳くらいの大層高価であろう美しい晴れ着に身を包んだ子供が夕餉をつついている最中であった。
なかなか端麗な顔つきで、まるで異人のように色素が薄い髪は結っておらず肩くらいまで伸ばしており、そこに繊細な細工でもって作られた上品で小さな花飾りをしている。いくつかこちらを向いたまま髪と同じように色素の薄い瞳でまばたきをしたが夕餉を止めるつもりは無いらしく、そのままお膳に視線を戻し煮魚を箸でつついて薄く紅を引いた口へ運ぶ。
涼はその場に突っ立ったままその一連の動きに目を奪われた。
やがてどれだけ時間が経ったであろうか、目の前の子供は短くため息をついて箸をお膳へ戻す。
「戸、閉めてくれねえか」
「男、か?」
うるさくて仕方がねえんだ、と苦虫を噛み潰したような顔で言う。既に会話が成り立っていないと思いながら涼は後ろ手で戸を閉めた。開けた時と同じようにすとん、と小気味の良い音を立てて閉まった。
「…逃げないのか」
「なんで?飯の途中だし」
「…見つかったらどうなるかわからないぞ」
「賊って野郎にいたずらするやつもいんの?」
「…さあ。知らない」
「お前賊だろ?仲間のこと知らねえの?」
「俺は、賊、じゃない」
しまった口が滑った、と涼は顔にこそ出さないが心の内で舌を打った。対する相手はというとふうん、と気にも留めない様子で茶を啜った。
「じゃあなんだよ」
「…似たようなもん、だけど」
「何だよそれ」
「ここの主人の部屋を、知らないか?」
「何探してんだ?」
「…書類とか」
「…ちょっと待ってろ」
そういうと少年は動くのもおっくうそうに立ち上がると部屋の壁に近寄って襖を開け、やや小さめの衣装箱を引きずるようにして取り出した。そしてやはり面倒くさそうにその箱を開ける。中には無数の色とりどりの帯が入っていた。そしてそれを気に留める様子もなく手荒く放り出し、一番底に手を差し入れ外に丁寧に千代紙が張られた箱を取り出し、ん、とそれごとこちらに差し出した。
「お前が欲しいの、多分これだぜ」
「…良いのか?」
「別に。ここのタヌキ親父が仕舞っとけって言ってたやつだからな」
「へえ…」
「あ、飯食うか?」
「いや、いい」
「あ、そ」
俺は食うけど、と少年はもとの場所に戻るとお膳に向き直り箸を手に取った。涼は箱の内が確かに必要なものであるということを確認したが、どうにも外に出る気も無くしてしまった。仕方なく目の前の少年の食事の様を眺めていた。顔をかすかに動かすたびに髪飾りの小さな鈴がちりん、と鳴った。
確かに日本人の顔で異人ではない。中世的で少女だ、と言えばほう、そうかと思ってしまうであろう。しかし男であると認識すると確かに少年である。何よりも声がそうであるし、言葉遣いに関しては涼よりも荒いくらいだった。
「今日は何か重要なことでもあったのか?」
「何で?」
「いや、晴れ着で居るから」
「ああ、これ。毎日そう」
「毎日晴れ着を着るのか?」
「ああ。めんどくせえだろ。タヌキ親父のシュミ」
「へえ…」
「タヌキのお人形さんなんだよ俺は。毎日クソ暑い着物きてさ」
「やれ綺麗な言葉で喋れだの可愛いしぐさで居ろだの…阿呆だぜあの親父」
「主人が嫌いなのか?」
「別に。特にいたずらされたりもしねえけど。買われて来たからな俺は」
どちらかっつーとお嬢さんのほうが嫌いだぜ、と魚をつつきながら首をかしげた。俺の方が良い着物着てるだの飾りが綺麗だの嫌がらせしてくんだぜ、うざってえ。俺は野郎だっつーの、とやはり苦虫噛み潰したような顔で言う。涼は思わず苦笑した。
「不自由はしてねえけど、厠以外部屋から一歩も出れねえし」
「退屈、か」
「…そんなとこだな」
手を止めて軽い口調で言うがその目は酷く寂しそうであった。涼はその無意識に伏せられた瞳を見つめた。今まで数々の人間を目にしてきたが、異人でもないのにこのように澄んだ瞳は初めてだった。引き込まれそうになる、と涼は意識して目をそらした。
しかしいつまでもここに居るわけにもいかないと箱の中身を懐にしまい少年に背を向けた。長居して見つかってしまっては意味が無い。面倒はご免だと十分に長居したことを反省しながらも部屋の側に足音がしないことを確認し扉に手をかけた。
そこで一歩前へ足を踏み出したところで着物の後ろがぴん、と張った。不思議に思い振り返るとお膳の向こうから身を乗り出した少年が裾をつかんでいる。涼は目を見張った。
「…出てくのか?」
「ああ。仕事の途中だからな」
「…俺も一緒に連れてけ」
「…これを渡してくれたのには礼を言うけど、それは無理だな」
「じゃあ叫ぶぞ」
「?」
「見つかったら面倒なんだろ」
「…ああ」
「思いっきり叫ぶぞ」
どうぞ何なりとご勝手に、と言えれば良かった。自分の足だ、賊なんぞに追いつかれるつもりは毛頭無ければ、この騒ぎの中彼の声が何の障害になろうか。しかし訴える少年の目があまりに熱っぽく必死だったのだ。これを逃せば次は無い、放すものか、と、そんな風に言っているのが分かってしまったのだ。
実際自分ひとり逃げるのと人を連れて逃げるのとでは大違いだった。一度だけそういうことを請け負ったことがあるがあれはもう二度とご免だと肝に銘じたのを思い出した。しかし、強く力を込められた裾を掴む指先は真っ赤を通り越し既に白くなっており、梃でも動きそうも無いのだ。
「…どうしてもか?」
「どうしてもだ。叫んでやる」
「他に手立ては無いのか」
「相談には乗らねえ。俺を連れていけ」
「……」
「…なあ、頼む。お願いだから…」
─────何にも言わないで、俺をここから出してくれ。
少年はそう言ったきりついに裾を全力で握ったまま下を向いてしまった。
もし連れて逃げるとすればそこらに放り出すわけにもいかず、先につながることの保障がなければ動けない。動かないのが普通なのだ。何事も慎重かつほぼ完璧にこなし、不利益だと分かる事には決して手を出すことの無いこの男は。
「足は速いか」
「…それなり、だと思う…」
「…それなら、着替えろ。急げよ。それじゃ目立ってしょうがない」
「…恩に、きる」
ぱっ、と顔を上げたその表情の嬉しそうなこと。反対に涼は眉間に皺を寄せ何たる失態、と肩を落とした。少年は慣れた手つきで素早く帯を解いた。男だと分かっているが涼は思わず目を背けた。少年は帯のよりも小さな衣装箱を襖から引きずり出すと中からいくらか地味な、世間一般の町娘の着るような、しかしやはり女物の着物を取り出した。
「いつかこういうときのためにさ、」
「隠して置いてあったんだぜ、これ」
そう言いつつ前を押さえながら帯を口に咥えた。涼はその酷く嬉しそうな顔を見、そしてそれにまた少しの間見とれた。阿呆か俺は、と頭のどこかが叫ぶのを聞いて聞かぬ振りをしながら。
やがて少年の仕度を終えると絶対にはぐれるようなことはするなよ、と念を押した。いつかまだ幼い娘を連れ出したときは一々言うことを聞かずに往生したが、もしそんなことがあれば迷わず置いていくと難しい顔で言った。少年は神妙な顔つきで頷いた。涼はしかしそんなことがあっても置いてゆけないような気がしてならなかった。
少年は名を隼人、と言った。涼は無事にここを抜ければ自分の名も教えると言った。少年は納得したように頷いた。ちりん、と後ろの低いところでひとつに結った髪に、未だついたままの髪飾りの鈴が鳴った。あ、と隼人がそれに手をかけたが別に自然だからとらないでもいい、と目をあわせずに言うと微笑んで右手を掴まれた。驚いて、心臓が跳ねた。
その手を握り返しながらちゃんとついて来い、と上ずったりしないようにしっかりと声を出した。分かってる、と少年は後ろから確かな声で答えた。
ああ、何てことだ。こんなこと、こんなこと!涼は頭を抱えながら扉に手をかけた。橋の下の船宿で待つ父は馬鹿だ未熟だなんだと罵るであろうか。しかしこうなってしまっては仕方が無い、仕方が無いということにした。
俺は阿呆だ、本当に。涼はどこか泣きたいのを振り払うように握る手の力を弱めた。すると相手が握る力を更に強めた。勘弁してくれ、と口の中から呻き声が漏れそうになるのを堪えて戸を開き、足を廊下へ踏み出した。騒ぎに紛れて小走りに裏庭の勝手口を目指す。まったく、こんなことはありえないじゃないか、本当に阿呆か、阿呆なのだな俺は。しかも相手は野郎なのに!
高槻涼、忍。一世一代の逃亡劇、一世一代の一目惚れであった。
●2007年6月23日、24日、25日
の、3回に分けて書いたやつをつなげました。ちょっと高槻に夢見すぎなんじゃないのという…。
サイトの「からす」とはまた別のお話でした。
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