スリーピィ・ハイウェイ
「赤ちゃんって」
帰りの車内で、巴武士は言った。
ブルーメンの最高責任者であるキース・ブルーに会ったその帰りの車内は、皆どこかぐったりと疲れていた。色々なことが有り過ぎた。
高槻涼は、車内に流れる交通情報のラジオをうつらうつらとしながら聞いては聞き流し、そんな巴武士の発言もまた、ラジオと同じように左耳から入っては、右耳へと抜けていった。
「赤ちゃんって、結婚したら勝手にできるものだと思ってたんだ…」
ひとり助手席に座り眠気覚ましに甘い缶コーヒーに口を付けていた久留間恵は思わず咽せ返った。巴武士の左側に座っていた新宮隼人は目をしばたかせた。高槻涼は、相変わらず夢うつつだった。
「…勝手にってあんたねぇ…」
呆れたように後部座席を振り返り、恵は言った。
「そんなワケないでしょ?」
新宮隼人はしばらくして意味を理解し、それはねぇよな、と笑った。
「小さいときにね、そうだと思ってた」
「お父さんとお母さんが結婚したら、勝手にできるのかなって」
でも違ったんだね。
ほんとのこと知ったのは、中学校の時の保健の授業だったけど。
違ったんだね。僕たちは、それとはまたちょっと、特殊だけど。
特に感情も込めずにさらりと言われたその台詞を聞くと恵は前に向き直り、またコーヒーに口をつけた。特にどうとも思わなかった。隼人は窓の外を見て、欠伸を一つした。恵は空になったコーヒーの缶をドリンクホルダーに置き、ふっ、と短く鼻をならした。短く考えて、終わった。
そこで高槻涼は何か思うことがあった。小さく口を開きかけたが、今は体も頭も疲れてしまっていた。巴武士は腹の前で指を組んで、座席のシートに体を委ねて、ゆっくりと目をつぶった。新宮隼人はドアにもたれて窓の外に目を向けたまま、とろりと目蓋を下ろした。久留間恵は、ドアの腕置きに肘をつき左手で頬を支え、窓の外の雨にそぼ濡れて灯りだした街明かりを、ただぼんやりと見ていた。
車内には交通情報のラジオと、外を降り続ける雨の音と、高槻涼の健やかな寝息で満ちていた。
せかいをなげいてぼくらは、
どうしてこんなことにばかりなるんだろうか、と涼は酷く疲れた頭で思った。取り返したはずの日常は無情にも再び崩れ去った。彼女の中には異常侵食がみられると聞いた。
彼女はじっと、気が変になりそうな真っ白な部屋に座っていた。隣同士腰掛け他愛の無い挨拶や会話を交わし、ふと黙り込んでしまった。短い沈黙の後に彼女――赤木カツミはどこかうわの空で口を開いた。
「赤ちゃんが泣きながら生まれてくるのはね、」
彼女はじっと白い壁を見ながら、言う。
「泣きながら生まれてくるのはね、今から生きていく世の中の理不尽とか、これから自分に起る怖いこととか悲しいこととかを思うからなんだって」
だから、涼とか隼人くんとかきっと、ものすごく泣いたんだろうね。こんなことになってるんだもの、きっとすごかったわよね。涼はすぐ隣で黙って聞いていた。
「おまえも、」
「え?」
「カツミもきっと、沢山泣いたと思うぞ」
涼も同じく壁を見ながら言った。彼女は暫らく黙っていたが、そうよねえ、と、小さく、消え入りそうな声で少し笑いながら言った。そうしてゆっくりと涙を流した。涼は彼女の小さな肩を優しく抱き寄せて微笑んだ。きっと手がつけられないくらいに泣いたんだろうよと、微笑んで、裏腹にそれ以上ないというほどに、辛そうに、じっと肩を抱くだけをしていた。静かだった。
絶えないことを望むひと
小さい窓だった。
最初何が居るのであろうと思った。頭から大きなタオルケットをかぶって、ややそれを引きずりながら廊下を歩いていると。
それは恵自身がとても気に入っている窓で、廊下にいくつも連なるセーフハウスのなかの窓でひときわ、理由は知れず白い縁の小さな窓だった。開け放たれた窓の前、そこに何かが居る。立っている。その僅かな縁に肩肘をついてじっと、外を見ている。
「そこ、あたしの場所」
「…そうだったのか、悪いな」
借りてる。そこに立っていた何か、相手、高槻涼は両腕を体の横に下ろして特に悪びれる様子もなく振り返った。驚いたじゃないか、と黒い目を丸くして言った。確かに、フォルムにしてみれば自分の今の格好のほうがよっぽど変だ。そのまま毛布をずるずると引きずって這うようにのろのろとその隣に歩みを進める。
「ここ、あたしの場所」
「いいな、ここ。妙に落ち着く」
「でももう来ちゃ駄目なんだからね。あたしの場所」
「分かったよ。でも今日だけ良いだろ」
「しょーがないわね」
あんたさっさと寝なさいよ、とまるであんまりにそれらしくため息をつくもので涼はすこし笑って窓にまた少し近づいた。恵はタオルケットを後ろに垂らしたまま覗き込むようにその表情を見つめた。ふんわりと生ぬるい風が窓から忍び込んだ。
何か思案している顔だ、と恵は思った。
「待ってても」
「まだしばらく帰らないと思うんだけど」
恵はやや遠慮気味に言った。言葉を選んだつもりではいたが、あまり気の利いた言葉でもなかったような気がした。どうしてそのうち帰るわよ、と言わなかったんだろう。恵は居心地悪そうにタオルケットを被りなおした。
「暑くないか、それ」
「暑いわよ。暑いから窓の前まで来たんじゃないの」
「部屋、クーラー利いてる」
「それ、まんまあんたに返すわよ」
涼しいとこで寝ればいいじゃないの。恵はじっとその目を見て言ったつもりだった。しかし実際には違うところを見ていたような気がした。きっと恵本人にしか分からないくらいだったけれど。
「…ユーゴー、まだ起きてるかな」
「どうだろうな。まだ起きてるんじゃないか」
「ユーゴーんとこ行こうっと」
のそのそと歩き出す。
そしてすれ違い座間に立ち止まり、自分よりいくつか高い目線を捕らえて機嫌を伺うような目をしてから、問うた。
「絶望、してる?」
「…あいつを信じてないわけじゃないけど、ちょっとだけ、してる」
死んでたらどうしようかとか、思ってるし。
どこまでが本心なのであろうと目を細める。その小さな窓からどこか見当もつかない遠くを見ている。その顔はいたって真面目に微笑んでいた。だから図りかねた。
恵は頭から被っていたタオルを顔まで引き下げてひとつ欠伸をすると、するりと裾をまた額の前まで引き上げじゃあね、とその背中の後ろをもそもそと通り過ぎた。涼はオヤスミ、と言ってまたもとの格好に戻って窓の外を見ていた。
そして窓から歩いていって大分離れたときに、あーあ面倒くさい、と恵は欠伸でにじんだ瞳でもう一度立っているであろう男を振り返った。しかしそこにはもう誰も居なかった。ただぼんやりとあかい熱の動きだけが煙のように淀んでいた。
ちりちりと首の後ろが痛痒いような熱を右腕に湛えていた男は、たった窓際の風に当たるだけでその熱を冷ますことが出来たのであろうか。いや、出来なかったであろう。
絶望、してるのだ。
枷
しかし畳の上に2枚、冗談のように真面目に真横に並べて敷かれた片方の布団にグラスの中身をぶちまけたのは隼人だった。勿論だらしなく寝転んで雑誌をめくったりしながら麦茶を飲んでいた本人が悪いのだ。
「あー…、俺こっちで寝るからお前そっちで寝ろよ」
「でも濡れてるぞ」
「そうだけどしゃあねえだろ」
「…隼人もこっちで寝たら良い」
「は?うおっ、」
次の瞬間腕を引っ張られて身体ごと倒れこみ相手が座っていた無傷の干したばかりの来客用の布団に両腕をねじ伏せられてしまった。そしてその上にのしかかって楽しそうに見つめている風呂上がりの重たい体はあんまりに熱い。熱いがしかし、まるで真夏の夜中のタオルケットのように右足で蹴り上げる訳にもいかない。
隼人は驚きしかし何時しかいらいらと、どちからといえばいつの間にか高すぎる己の体温と不振と不安と不満と期待がぐちゃぐちゃにいり交ざった血をどくどくと全身に回し体温を高めてゆく自分の体の機能の方に腹まで立てた。
「おまえな…」
「隼人、めちゃくちゃ体熱い」
「風呂上がったばっかだろ。それになっ…てめえがっ、重すぎんだよっ、こら、」
ふうん、と、意地悪く手首を布団に縫い付けたままひとつも相手にしないでからかうような声色で耳もとでいかにも、いかにも楽しそうに言うので本当にタオルケットのように蹴り上げてやろうかと顔をしかめながらそれでも、
「お前…いっぺん地獄に落ちろばかやろう」
既に隼人のTシャツを捲り上げ下半身の黒いジャージにまで手をかけた相手の首に、絞め殺してやろうかと、その狂暴さとは裏腹に、堪え切れず笑って、ぐいと布団から渾身の力で無理矢理引き剥がした両腕でもって飛びつき、相手の頭を自分の胸に奪い取った。
●スリーピィ・ハイウェイ / 2006年11月27日
ブルーの居た「青い森教会」は何処にあるんだ。…時間帯がウロ。
●せかいをなげいてぼくらは、 / 2007年6月13日
涼かつ。かっつんかわいそうだなあというお話。
赤ちゃんが泣きながら〜の話は、母さんが教えてくれたのですが、たしかなんか…暗い小説とかのだと思います。
●絶えないことを望むひと / 2007年8月5日
家出少年隼人のあたり。
●枷(かせ) / 2007年7月12日
半端とかを集めてみました。
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