しまった、と券売機の前で立ち尽くす。
(あぁー…、千円札しかない)
財布の中を捲り捲り、小銭入れを覗けばコンビニのレシート。この前落としたシャツのボタンそれから、糸くず。財布には千円札が一枚きりだった。
駅まで来てみて、取り敢えず家まで、自分の部屋まで帰ろうと思ったのだ。なんだか頭はすっかり疲れていて、足も妙に動くのを渋っていて、いつものことであるがお腹はさっきから鳴ってばかりだった。斑鳩悟は今までにつき慣れた溜息をついた。千円札しか、財布に入ってない。
都合よくクラスメイトか誰かが通りかかればいいのに、とあらぬことを考えては券売機の前から離れた。その後ろに並んでいたスーツ姿のサラリーマンは寂しそうなブレザーの背中をどのように思って見つめたのだろうか。
簡単なことだった。その千円札を券売機に入れて切符を買えばいい。切符との差額はきっと一円の狂いなく機械が吐き出してくれるはずだ。小銭に姿は変わるけれども。
しかしそこが重要な問題であった。小銭になる、これがいけない。
斑鳩悟は悩んだ。なぜだかは自分自身よく分からないまま、その千円札しか入っていないことに落胆した。根っからの貧乏性のせいで基本的に財布にお金が少ないのはいつものことだったけれど、どうにもショックだった。千円札が小銭に変わってしまう。
(はい、コーヒー、と、何か色々)
(ああ、そこに置いといてくれ)
(それからこれ、おつりと、千円は使わなかった)
(とっとけ。駄賃だ)
(えっ、良いの!?ほんとに?)
(…ああ。何だよ、変なやつだな)
悟に簡単な買い物を頼み、難しい顔をして雑誌と睨めっこをしていたバイク乗りはその一瞬だけ少し笑って顔を上げると、またすぐに難しい顔をして顎を触りながら雑誌に目線を落としたきりだった。顎にあった髭は以前にさっぱりとある程度残し剃ってしまった。それ以来癖になったのかもしれない。悟はぼんやりとその仕草を思い出して頭に描いた。
そのときの千円札である。
彼は先ほど空港へ向かったはずだ。そして悟の手に残ったのはコンビニのレシートと千円札だった(小銭は既に使ってしまってもう手の中にはない)
使えばいいだけの話だった。あの機械がぴったりの金額を返してくれるに違いない。そう、小銭になってしまうけれど。
しかしなぜかそれがとても申し訳ないことのように思えたのである。なぜだかは分からないが、それはそれは勿体無い事のように思えて仕方がなかったのである。
(お前も表に出て来い)
(いつだろうがどこだろうが飛んでくからよ)
(ヘンなの…)
悟は黒い髪を後ろで束ねながら言う男の姿を思い出した。ミネラルウォーターのペットボトルを引っつかんでオフィスから出て行った。聞きようによっては愛の告白のような言葉を残して。
(ヘンだ、ロコって)
悟は首を少しだけ傾げて、券売機の前からも電車に乗ろうとする沢山の人からも駅からも離れてしまった。歩いて帰ろうと決めたのだ。
●2007年05月21日
ロコと斑鳩がだいすきです。
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