どうすれば良いかなんてことはとんでもなくナンセンスで、それでいて解決不可能な難題だと思っていた。

 どうにか出来るならばとっくにどうにかしていると思ったし、考えれば考えるほど自分はどうしてこんなにおかしくなったのだろうと悲しくまでもなった。
 あの髪が、目鼻立ちが、真っ黒な瞳が、長い睫毛が、声が、あの態度が、あのあっけらかんとした性格が、好きでたまらない。それこそ砂でも吐きそうなほどチープで馬鹿げた恋愛映画のようなことまで考えてしまう。
 こうしてただでさえ平凡に行かない人生が、また少し音を立てて狂ってしまうのだ。


 遡る事もう何年も前の話であるが、ロクでもないクソ野郎共に騙されて最愛の母と弟が死んだのだ。あれ以来人なんぞ信じてたまるかと心底思っていたし、もう人の中に入り込むことも入り込まれることも拒んだ。
 なぜってそれは怖かったから。人はもろい。例えばほんのちょっと階段から足を滑らして転倒しただけで、打ち所が悪ければソッコウでオダブツだ。獣人で頑丈な自分とはちがって、人間は酷くか弱い生き物だ。これでよく現代の食物連鎖の頂点に立てたものである。
 そうしてそんなものに囲まれながら尚生き延びていく中で自分はもう置いていかれるのも、巻き込むのも、何もかも嫌だった。それから騙されるのも、もう二度とご免だった。

 それであるのに。とある東洋人の馬鹿である。



 「さああぁみいぃぃぃ────!!!」


 清々しく晴れたアーカムビル屋上のヘリポートに出ると、急ぎであるので着陸こそはしないであろうが、早急に雪かきをしたのであろう脇にスコップやらを抱えて白い息を吐く職員の姿があった。塩化カルシウムを散布しているやつもいる。脇に立って街を見下ろすと、正月であるというのに忙しそうに車が行き交っている。建物という建物すべて、白い化粧をしている。まるで東京全体に白いテーブルクロスを敷いたようだ。
 そうこうしている内に後ろのドアが開き、あと5分ほどでヘリが到着すると職員から連絡が入る。ひゅう、と風が吹きつけ、足元に20センチほど積もった雪が粉のように舞った。

 年明け、日本で言う正月サンガニチというやつだがそれそうそう酷い目にあったものだ。
 たまたま新年の挨拶にと尋ねたら、内線を取るなり血相を変えた山本氏に、おいジャン君、君も一緒に飛んでくれい、だなんてサイアクである。サイアクであるがまあ許そう。この隣の男に免じて。


 「うっせえぞ御神苗、寒いのは皆同じだ」


 ビルに着いてオフィスを訪ねるとコーヒーを啜って本なんぞを読んでいた例の東洋人の馬鹿は、先ほどまでぶつくさ文句を言いながら出発の準備をしたものである。


 「獣人のテメーたあ体の構造が違うんだよ。あー…ちくしょー寒いぜ」


 獣人獣人、またそれである。しかしカタブツの科学者や軍やら組織のおエライさんに言われるよか、ずっとずっと良い。そうか寒いのか、かわいそうだなと思う。本気で。その時点でもう自分が嫌になるのである。だんだんと甘くなってゆく。心地が悪い。しかも一生伝わらないし伝えられないのである。
 獣人の一生は短い。寿命が40年前後だそうだ。当初それくらいどうということないと思っていた。戦場で死んでやる気はあまりない。そうだ女でも抱いて、するだけしたあと眠りに落ちてそのまま死んでやろう。目覚めた女はきっと悲鳴をあげる。おもしろいじゃないかと思って、よしそれでいこうと決めた。我ながら最高に馬鹿だ。だがその馬鹿さがせめてもの足掻きで、そしてまあ、ここまでおかしくなった自分の生きる道など所詮そんなものだと思っていた。しかし獣人としての本能だろうがなんだろうが知らないが戦闘事は嫌いじゃあない。戦って戦って、戦い通して生物兵器のまま死んでやる。現実的に考えてそっちのがアリなのだ。そういうものだから、きっと50とか60とかまで生きるとなれば時間を持て余してしまうかもしれない。
 しかしここまできてまた少し思考と思想にズレが生じはじめる。有り得ないと否定したがすればするほど眩暈がする。酷く惹かれた。輪郭を持ち始め認識したが最後、もうそればかりで頭が一杯になる。会いたい、話したい、触れてみたい。ここまでくると最早変態だぜジーザス。

 程なくしてヘリが到着する。ばらばらと音を立て職員達の努力の結晶であるコンクリートの上に着陸する。久しくロープにて搭乗するものだと思っていた。するとゆるゆるとローターが止まり始め、エンジンが完全停止する。中からアーカムのエージェントが出てくる。随分とゆっくりしたものだ。緊急じゃないのか?

 するとコートを強風にはためかせて山本氏のところまで歩いていき、なにやら話している。山本氏も府に落ちないという顔をしながら、小さく頭を下げたりしている。一分くらいしたろうか、自分と自分の隣の男の方へ歩いてくる。


 「…向こうの早とちりだよ。それほど大事には至っていないようだ」

 と、肩をすくめて苦笑った。派遣されるスプリガンは一人で十分だという。正直、がっかりである。

 「あ、じゃあ俺が行くよ」


 ふう、と肩を落として隣の青年、御神苗優がヘリへと歩みを進める。なんだかんだ言いながらそこはプロである。どうやらそれなりに緊張をしていたらしい。安心したよ、とわらった。はっきりとした嫌味の無い笑顔だ。
 いつも思うが、笑った顔に関してこの男は年齢よりももっともっと若い印象を与えるのだ。良く言えば無邪気、悪く言えばガキなのである。


 「いい、俺が行く」


 宗教音痴の日本人にとっても新しい年が来たこの暫くの間は重要なのだと聞く。そんななかで、いきなりロシアの雪山に飛ばすのはかわいそうだと少ない仏心を悟られぬように、いつもの調子で言う。しかし、しばらくの間は御神苗の部屋に直接厄介になるつもりだったので内心残念である。いいや、かなり残念である。なんてついてない。ロシアの雪山なんざクソくらえ、だ。
 折角近くで見ていられると思ったのに。
 いつもそうだが飽きないのである。くるくると動き、くるくると表情を変える。まだまだ子どもなのだと思うが、時々似つかわしくないほど難しい顔をしたりしゅんとしていたりするとそれはまた惹かれる。それを天国の母は笑わないだろう。それでもこんなことを考えるたびに間逆、突き放そうとするこころが働く。それ以上踏み込んではいけないよ、それ以上関わってはいけないよ、と。最後に悲しいのは自分で、辛いのも自分なのだから、と。


 「え…でもジャン、お前ちょっと寄っただけなんだろ?」
 「…任務が入るまでお前の部屋に厄介になるつもりだった。暇だからな」
 「げ、なんだよそれ勘弁してくれ!」
 「は、折角からかって遊んでやろうと思ったのによ」
 「へっ、ロシアでもどこでもさっさといっちまえ」
 「言われなくても行くさ。少なくとも戦場じゃ退屈はしねえからな」


 そうだそれでいい。
 それでも小さなことで揺れ動く自分が居る。優は本気で言ったのだろうか?ああ、ほんとうは。黙っているつもりだったけれど、機会があれば言ってしまおうかとも思っていたのに。
 例えば夕食のとき、優がふたりの間のテーブルの中心にあるサラダボウルから、レタスとミニトマトを小皿に移す瞬間。例えばスーパーでカレー粉を手に取る瞬間。例えば俺が風呂から上がって、優がテレビに釘付けになっている間。例えば優が入れたコーヒーをこの手に受け取る瞬間。例えば二人でエレベーターに乗っている間。好きだよ、なあんて。
 いっそ、言ってしまえばどうにかなるのではないかと思ったりもして。機会があれば。それを今断ち切る。こうして物事は何も無い方向へと進む。永遠に感情は平行線だ。最初に思い描いた獣人ジャンの一生が続く。なんだっけ、ああ、そう。女と寝た次の朝に死ぬんだっけ?戦場で大暴れして死ぬんだっけ? まあ、もうどうだっていいけれど。
 そうして優を制止して、ヘリに乗り込むべく歩みを進める。ついでにこのままフランスへ帰ろう。アパルトマンの部屋の掃除をしなくちゃならない。


 「ジャン!」


 振り向くと顔の真横に何かが飛んでくる。とっさに受け取ると小さな箱だった。青いリボンがついている。これはなんだと尋ねようと顔を上げると、その前に相手が言う。


 「クリスマスに渡し損ねた!あんときお前南米にいただろ」
 「…貰っていいのか?」
 「おう。今度メシ奢れな!」


 いたずらっぽく方目をつぶっていつものように快活に笑う。ああ、もう、なんだそれは。思わず吹き出してしまう。かなうわけがない、と思う。
 結局それ以上何も言えずにヘリに乗り込む。ぎゅう、と苦しくなる。気を抜けば顔が緩んでしまう。もう構わないと破顔する。そしてドアを開けたまま、操縦士に出してくれと合図を出す。ドアを開け放したまま、ゆっくりとヘリのローターが回りだす。やがて大きな音を立てながら機体が宙に浮かぶと、屋上の上の相手に微笑んで顔の横で箱を揺らす。


 「御神苗─!」

 「あ──!?」


 プロペラの音でかなり聞き取りにくいが、どうやらちゃんと聞こえたらしい。さっきよりもっと微笑んでみせ、太陽に目を凝らす瞳を見つめ、先ほどよりも離れた位置から、先ほどよりも大きな声で言う。同時に高度を上げるよう操縦士に合図をだす。





















  「 Je t'aime!!」






















 同時にグンと高度が上がる。ヒュウ、と操縦士が口笛を吹く。急いでドアを閉める。手を振る人や顔を見合わせている人や、ドアの方へ引き上げていく人、そして、ただ呆然と立ち尽くしていつまでもこちらを見つめている優の姿。


 「…山本さん…あいつ…ジャンのやつ…なんか、変なこと言わなかったか…?」


 山本氏はふう、とひとつため息をつくと、自分でもう一度本人に訊いて確かめてごらんと笑った。今なんといったのだろうか。御神苗優は語学に関して長けている。英語は当然、ジャンが居るのでフランス語も分かる。中国語も、出来なくはない。
 ではさっきなんと言ったのだろうか。聞き間違えでなければ、やつはとんでもないことを言い残していった。優は後ろで、やっぱりそうだったのねえ、と楽しそうに話す女性職員の会話を遠く聞いた。


 「 Je t'aime…? 」





 * * *






 一体どんな顔をしているのだろうか?そんなことを確かめる余裕なんか持ち合わせていなかったのだ。そしてすこし、すこしだけ、言わなければよかったと後悔して、聞こえていなければ良いなと思う。だけど任務が終わったらきっと日本に来よう、そうも思っているのだ。多量の不安と、微量の期待。
 シートに深く腰掛ける。ここまできて急激に体温が上がるのが分かる。ああ、馬鹿げてるじゃないかこんなことは。なんだか腹から笑ってやりたかった。遠くから自分をみて、指を指して、笑ってやりたかった。
 がくんと頭を垂れて両膝に肘をつき、手のひらを組んでその甲で頭を支える。後ろで束ねた長い髪がするりと首へ垂れる。


 「…こういうの、変だと思うか?」
 「惚れてるねえ」

 と、一言。
 そしてアイに何とかは関係ないのさと快活に笑った。そうして情けない格好のまま窓の外、もう分からないに小さくなってしまったアーカムビルを、窓の中から振り返った。

 「…ああ。もうベタ惚れだぜ」


 たまんねんだよ、あいつ。
 ここまで来たのならもう戻れやしない。そうなんだろうマリア? きっとなんとかしてみせるさ。「らしくない」ということに今頃気が付いた。俺は獣人なんだもの。そしてあいつは、No.1スプリガンなんだもの。死なせはしないさ。誰かに渡しもしてやらない。それからきっと手に入れてもみせる。
 日本に帰ったら、きっともう一度言おう。あいつが耳を塞いで、もう止めてくれ!、だなんて根を上げるまで、何百回でも何万回でも伝えよう。それで無理にでも頷かせてやろう。いつからこうだったのかも言って聞かせよう。どこがそうなのかも聞かせよう。そうして、俺は世界で一番馬鹿な獣人になる。


















 まぶしく晴れた遠く離れたロシアの雪山で、コーヒーを啜りながら、箱の包みを開ける。中にはムーンストーンのはまったシルバーの指輪。いつだったか雑誌でいいよな、みたいなことを離した覚えがなくもない代物。そして一枚たった一言、恐らく精一杯のメッセージカード。白いメモ紙に、そっけないワープロの文字。だけど、それでも、



  『  I love you. 』



思わずコーヒーを取り落とし零して、雪崩でも起こさん勢いで腹の底からまるで気が触れたかのように笑った。止まらなかった。今すぐ帰って、抱きしめたかった。

















 「 Je t'aime!! 」

















 そうして俺は、世界で一番馬鹿でしあわせな獣人になる。

























●2007年1月6日 
砂吐きたいのはこっちですっていう話を…。
タイトル候補に「獣人ジャンの一生」ってのがありました。…なんかシャレにならんダサさ…(笑


●2007年2月12日:修正
●2007年7月18日:修正
●2009年6月08日:修正


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