思わず、というか、わけが分からず。
取り敢えず吐き出すはずの予定だった息を飲み込んで、のどが咽そうになるのをこらえて、白いシーツの上で少しマヌケなほどばさばさと腕を動かして目の前の目覚まし時計を掴んだ。勿論休日の目覚ましに用があったワケじゃない。手を下ろした先にあったのがそれだったのだ。別に枕だって毛布だってなんだって良かった。
そうして目覚まし時計に上から圧力をかけながら足でシーツを蹴って中途半端に起き上がって、バランスを崩しそうだったからだを立て直し、眉間にしわをして後ろを振り返り、殆ど叫ぶように、言う。
「…ぅオミナエ!!」
「…ごめん…」
しゅんと肩を竦めて上目を使われるとそれ以上怒れなくなる。
ジャンは情けなく眉毛を八の字にして肩を落とした。折角の久しい休日の朝寝を邪魔されたのだ、怒り狂いたいのも山々だが決して彼が悪いわけではないということをジャンは十二分わかっているので。
はあ、と深々とため息をつき、自分の後ろにぺたんと座っている青年を見遣り、首筋を右手で触ってみる。もう血こそ出ていないが少し陥没している。
2つ、ぷっつりと、穴。
「ほんとごめん…」
「あのなあ、」
腹が減ったのは分かってるけどな、もっとソフトな起こし方をしてくれ、と。
ジャンは首筋の陥没をぐいぐい伸ばすようにさすった。優は真焦った顔をして、ほんとにごめん、と今一度誤った。
「…だって、…すげー、美味そうだったんだ…」
「…そうかよ」
「うん…腹鳴って、そんで」
目え覚めたんだよ。
そしてどうやら自分は手に何か布を握っていることに気がついた。それはジャンがパジャマ代わりに着ていたTシャツの裾だ。道理で寝心地がいいと思っていたらすぐ隣にまだ寝息を立てている男が。
寝返りを打つとふんわりと、布団の下からふたり分の匂いが混ざって上がってくる。あ、こういうの、好きだなと、思っていると。ジャンも寝返りを打ち、ゆったりと背中をこちらに向ける。長い髪が胸の側へ垂れる。あらわになる、その首筋。
ごくん、と唾を飲み込んで。
「…で、気がついたら俺がびっくりして飛び起きてたと、そういうことか」
「うん。あの、ほんとに、起こすつもりじゃなかったんだよ…」
そりゃあそうだろうなあ、とジャンは心の中で呟いた。血を吸うことは本能が求めることだ。そうそう抗えはしない。獣人である自分にはよく分かっている。
優はジャン以上に情けなく肩を落としてシーツを見つめている。黒く大きな眼は今にもぼろぼろと水しずくを落としそうにも見える。ジャンは唇を噛んで、取り敢えず優の寝癖のついたままの頭をぽんぽんと叩いた。別に怒ってねえし、いいから、と。
「…いや、よくねえ」
「あ?」
「ごめん、ジャン……俺やっぱり出てく!!」
「は? な、ちょ、おいオミナエ!?」
イキナリかよ、とジャンは目を丸くして寝起きとは思えぬ素早い動きでベッドから降りていく優の服の裾を掴み損ねた。
優はそのままベッドの足元においてあった自身のデイパックを引っつかみ、素足のままでジャンをベッドの上に置いてけぼりにして寝室を出て、脱衣所に向う。服を着替えているのか、衣類をデイパックの中に回収しているのか。
「御神苗? おい、お前ちょっと落ち着け…」
「無理だ! やっぱり無理なんだよ」
なにが無理なんだ、とジャンは寝起きの前髪を後ろへ向って掻き揚げながら目覚まし時計を放り出し、ベッドを降り、スリッパを引っ掛けて脱衣所の優の元へ向った。
どうやら着替えていたわけではなく、浴室内にヒモを張りいくつもぶら下げた衣類の中で自身のものだけを選んでデイパックに放り込んでいるようだった。ジャンは浴室の扉の前に立って、少し落ち着け、と再度言った。
振り返る優の瞳の大きなことと言ったら。
濃く長い睫毛を小さく揺らしながら、スイマセン今すぐにでも出て行きますという切羽詰った表情。
ジャンは彼が泣き出しそうなわけではないということを分かっていたけれどそれでも、そのようにしか見ることができなかった。眉間にしわをし、洗濯ばさみをつまんだ中途半端な格好のままこちらを睨んでいる。
テレビを見ているとき、仕事の打ち合わせをしているとき、食事をしているとき、その大きな瞳にどれだけ視線を奪われたか。そして彼は今日もその大きな瞳をこちらに向けてひとり悩んでいる。そしてジャンはひとり、困惑するのだ。
「…落ち着け。なにが無理なんだ」
「…ここで一緒に住むのがだよ」
「なんだ日本にホームシックか?」
「そうじゃねー…」
がっくりと肩を落としたまま。
最後の洗濯物をデイパックに放り込み、浴室から出てきて脱衣所にデイパックを放り出すようにして置く。ジャンはそれを眼で追いながら、優の言葉の続きを待っていた。
「…ジャンと居るのは楽しい」
「だけど駄目だ」
「だから何がどういうふうに駄目だってんだよ」
「…怖いんだよ」
「何が?」
「朝起きて…」
すぐ隣のお前が干からびてたらどうしよう、って。
優は急いだ拍子に床に落とした洗濯バサミに視線を遣りながらもそもそと口を動かして言った。途端、ジャンは弾かれたように笑い出した。優は驚いて眼を丸くした。
「な、何笑ってんだよ!!」
「…いや、何を言いだすかと思いや…」
「こっちは大真面目なんだぞ!!」
「そうかよ。じゃあお前は一生独り身だな」
「…そうだよ」
ばかだなあ、オミナエは、と。
ジャンは脱衣所の床のマットに落っこちていた洗濯バサミを拾い上げながら言った。
何度も言われてきたことだったが、今度のはいつもと少し違った。いつもの、あの馬鹿だなてめぇは、の響きとは異なっていて、乾いているような、潤っているような、温かいような、冷たいような。
「…そんなもん、俺だって一緒じゃねえか」
「………」
「そうだろ? 朝起きてみたら、てめえの死体が転がってたっておかしくねえ」
「……怖いのはてめえだけじゃねえよ」
「…それは…」
「そうだろ?」
「…………」
ジャンは短くため息をついて優に歩み寄り、ふと屈んだかと思うと、優の裏膝に腕を回し、そのまままんまと担ぎ上げた。姫抱っこだ。
優は面食らって、そうしてややあってから暴れ、降ろせ!と叫んだ。ジャンは髪の毛を引っ張られながらも無視をして、そのまま寝室へ向かい、ベッドの上に優を放り出した。ぎし、と大きな音を立てベッドがきしむ。優は枕の上に綺麗に尻餅をついた。
目覚まし時計ががちゃん、と派手な音を立てて床に落ちる。
「…ぃ…いきなり何すんだコノ…!」
バカヤロウ、とかクソヤロウ、とか続けようとしたのかもしれない。が、そんな罵声が口から飛び出す前に、ジャンが自身のそれで優の口を塞いだ。舌をいれたりするようなことはしないで、少し斜めに、ずれた角度で押し当てた。ぴったりと口を噤む。離れる瞬間に、ちゅ、と音がした。
「……落ち着け」
「…あ、」
「てめえを止められるのは俺しかいねえ」
「俺を止められるのはてめえしか居ねえ」
「そうだろ? それだけで十分な理由じゃねえか」
「…じゃ、ちが…俺は…」
ジャンは短く鼻を鳴らし、手首のヘアゴムで大雑把に髪を束ねた。そして枕にしりもちをついたまま唖然として座り込んでいた優の隣に自身も座り、そしてベッドのサイドテーブルから煙草を取り出した。
一本どうだ、と箱から半分出して優に進めた。優は少し首をかしげたまんま素直に受け取り、ふたりの間に火をつけたライターに顔を近づけた。優には久しい喫煙だ。
ふう、と細く吐き出された煙が空中でほどけていく。
優がいくつか咳いた。ジャンは短く笑って、灰皿に灰を落とした。
「…なんだ? 俺のミイラ? お前の死体? 生産性がねえ?」
「上―等じゃねえか」
煙を吐き出してくつくつと笑う。
生産性の話はしてねえ、と優が呟くように言い、そして笑った。ジャンの首筋の歯形は、もうすっかりと跡形ない。
「てめえの食欲なんざ、煙草(これ)と一緒じゃねえか」
「…なあに、血なんざいくらでもくれてやらあ」
「…俺たち、」
「あ?」
したくないのにどうしても抗えず相手をミイラにしかねなくて、
危害を加えられれば相手を殺してしまいかねないというのに、
「…一緒にいないほうが良いに決まってんのにな」
「そうだな、でもしゃあねえよな」
こいつがカラダに悪いの知ってて吸ってるような人間だからな俺たちは、と。
ジャンはいかにも可笑しそうに笑って、煙草を咥えたまま優の頭を自分の頭に引き寄せた。ジャンの耳あたりに優の耳より少し上あたりがぶつかった。その拍子に煙草の灰がいくつかぱらぱらとジーンズの上に落ちた。
「泣くなよ」
「泣いてねえよ」
「ほんとに馬鹿だなてめえは」
「…うるせー…前からだ」
頬にぽろりと涙がこぼれた。ジャンは親指でこするようにして消してやった。黒く濃い睫がしっとりと濡れた。そして。
優は煙草を口から離し、くすくす笑いながらジャンの首筋に噛み付いた。ジャンは心から可笑しいとばかりに煙草を咥えたまま同じように声を殺して笑い、優の黒い髪を撫でた。それはそれは穏やかな狂気だった。しかし、ふたりはそれでしあわせだった。
●2007年09月23日〜12月27日
チャットから生まれたパラレルネタ、吸血鬼オミナエと獣人ジャンのお話。
な、なんかハロウィンに合わせて〜のネタだったんですけどね、上げらんなかった!(笑
Rイコさんからえろえろな情報をたくさん教えてもらったはずなのに、全然、そんな風にならなくて、ごめんなさい…。
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