「おい、ジャン!」
「なんだよデケぇ声だして」
「…お前、俺のこと無視しただろ」
「はあ?」


 足を組みソファの上でフランス語の雑誌を捲っていたジャンは、荒っぽく開けたドアから不機嫌そうに帰ってきた優を怪訝そうな目で見やった。無視?俺が?お前を?


「なんだよそれは。いつの話だよ」
「今さっき」
「はあ? 今さっきだァ?」
「…なんだよ、折角後ろ乗っけてやろうと思ったのに」
「今…?」
「お前思いっきり無視すんだもんよ」
「ちょっと待て御神苗、待て待て待て待て」
「んだよ」


 俺は10時過ぎにここについてから一度もここを出てねぇよ。
 ジャンは怪訝そうに呟くように言った。事実だった。任務を終えたジャンはそのまま優の部屋まで来て、それからシャワーを浴び冷蔵庫をあさりベッドに滑り込んでそのまま昼過ぎまで寝ていたのだ。外に出たといえば山本氏に調査書を提出しにいったきりだ。
 そんな俺が外にいるなんてこと有り得ねえだろ。
 今度は優がワケがわからないと首をかしげた。でも俺がお前を見間違うわけがない。たしかに歩道を歩いていたのはお前だった。と、優は断固として主張する。誰がジャンに変装する必要があるのだろうか。


「おい、御神苗…やっぱり見間違えじゃねえのか…?」
「…そんな…でも、…あれは確かにジャンだった…」
「…くせぇな。どっかで面倒なやつらが絡んでなきゃ良いけど」
「…でも…」
「まあ…何だかよくわからねえが、最強のスプリガンが二人一緒に居るんだ、怖いもんはねえぜ」
「…まあ、な」


 おかしい。
 確かにあれはジャンだった。様々な経験を積んだ優にはわかる。あの容貌、纏っている周囲の空気の質、間違いなくジャンだった。しかしジャンはどこへも出ていないという。テーブルの上の灰皿の吸殻も山済みだ。ここに長い時間居たのはそれをみても分かる。じゃあ何だ、クローンだとでもいうのか?
 それもおかしいことではない。日常と非日常が複雑に交差する世界に生きている。一度ジャンの細胞から作られた生物とも対峙したことだってある。もしかすれば、もうひとりのジャンを作ることも出来てしまったかもしれない。


「おい、御神苗、あんまり深く考えるなよ。大丈夫だって」
「う、ん…そうだよな、でも…見間違えたのかな、俺…」
「なんだぁ? じゃあそいつはよっぽどの男前だったとみえる」
「なぁに言ってんだよ、馬鹿」


 ジャンは立ち上がり、未だに「もうひとりのジャン」のことをもやもやと考えていた優の口唇を奪う。ちゅ、と音を立てて離れる。とたんに優の眉間のしわは消えうせ、なんだよ、と笑ってその首に腕を回す。少なくとも3週間ほど肌を合わせてはいない。


「お、おいジャン…」
「なんだよ、…いいだろ」
「ちが…シャワーくらい浴びさせろよ…」
「んなもん気にしねえ気にしねえ」
「おいおいマジかよ…」


 ジャンはそのまま優を抱き上げた。優ははじめその横抱きに面食らって暴れたが、すぐに大人しくなってくすくす笑いながら寝室までだらけたままジャンに運ばれていった。そのとき既に街中のもうひとりのジャンのことは頭の隅に追いやられていた。
 無論、行為が始まってからは考える余裕など、ない。



* * *




「…う…、…っー…腰が痛え」
「…のバカ獣人、昼間だってのに…」


 容赦がねえ、と言いかけてチャイムが鳴る。はて、誰であろうか。
 もし仕事のことで山本氏だとするならわざわざ直に訪ねるようなことはするまい。もし俺が出掛けていたらまた出向かなければならないし、急ぎなら内線か携帯電話、そうでなければメールだ。だとしたら誰であろう。宅配便などは危険物かどうかを見分けるために一旦アーカムビルのロビーに預けられX線などにかけられるなどするので、俺の部屋の呼び鈴を鳴らすような相手はほとんど居ない。姉ちゃん?いいや、だったら呼び鈴を押してすぐにインターホンで名前を呼ぶはずだ。
 優はソファの隙間から銃を引っ張り出して構える。仕事柄の癖のようなものだ。しかしこのビルに進入してきたことがあるのはあの時のCOSMOS以来だ。そんじょそこらの適当な傭兵に、それができるとは思えない。


「どちらさまですか」


 返事はない。怪しい。
 優は銃を構えドアの前からずれて壁に控え、音を立てないようにしインターホンの画面を見、ボタンを押す。そしてその小さな四角い画面に写ったものに息を呑んだ。

 ジャンだ。

 寝室で寝息を立てているはずのジャンが立っている。服装も、髪型も、今日ソファに居たジャンと何ら変わりない。そのジャンがなぜドアの外に居る──────?
 嘘だろう、と背中と額に嫌な汗が浮かんだ。すると扉の向こうのジャンが言う。


『おい、御神苗開けろよ』
「……」
『んだよ、折角訪ねてきてやったんだぜ?』
「……どちらさまですか」
『はあ? おいおい、暑さで脳ミソやられたかあ?』


 誰もクソもねえだろうが、俺だよ。
 声も、しゃべり方も、細かな仕草も、それは明らかにすべてジャンのものだった。どうすればこれほど一寸狂わずジャンをトレースできるものか。優は目を見開いてごくん、と唾を飲み込んだ。嘘だ、もし扉の向こうのジャンが本物であるならば、さっき一緒に寝ていたジャンは誰だ…?


「…おい…御神苗…?」


 呼び鈴に起こされたのかジーンズをまとったジャンが起きてくる。寝室から出ようとするのを静止する。


「ジャン!!」
「は、な、なんだよ…」
「…理由は後で話す。…カーテン閉めて寝室に居て欲しい」
「…なんだ、敵襲か…?」

 ジャンの声がにわか冷静さを帯びたものに変わる。

「違うよ。でも、頼む。お願いだから…」
「…わかった。カーテン閉めて大人しくしてりゃあ良いんだな?」
「うん。…なあ、ジャン」
「あ?」
「最後にシたの、いつだった?」
「ああ、あんときも久しぶりだっからな…確かてめえが滅茶苦茶痛がって、」
「…アリゾナから帰ってきてからだったからな…3週間くらい前か」
「大正解。サンキュ」


 優はジャンが怪訝そうにしながらも寝室に戻りカーテンを閉め、最後にドアを閉める音を確認するとそのまま銃のトリガーをに手をかけたままインターホンに向かう。


「悪ぃ、ジャン。ちょっと取り込んでて適当に返事しちまったんだ」
『そうかよ。じゃあもう用事は良いのか』
「ああ。それより、ジャン?」
『ああ?』
「最後にシたの…いつだった?」
『…最後に…?』


 どくん、どくん、と心臓が鳴る。さあ答えてみやがれ。あまり大きな声で言える質問ではないが、これはひとりのジャンとひとりの俺しか知らないことだ。額に妙な汗が浮かぶ。しかしもし答えてきたら?どちらのジャンが俺のよく知る俺のジャンなのであろうか…。


『…さあな…だいぶ前だから覚えがねえ』
「…誰だてめえは? えらく上手い化粧してるじゃねえか…」
『何を言ってんだ御神苗…?』
「いい加減姿を現せよタヌキ野郎!!」
『………』


 決定的だった。あのジャンが「あれ」について日付を覚えていないはずがないのだ。
 それに、本物のジャンは決して悪口を言われてそのまま黙っているような男ではない。どんな仲になろうとも、必ず言えば言い返してくる。そういう男なのだ。


「…御神苗、なに喋ってるんだ…?」
「何でもねえよ。それより…絶対部屋出るなよ」
「わかった」


 インターホンに顔を向けつつ銃口はドアに向いたままだ。多少無理で妙な体制になることになるが、ジャンだけは俺が護らねばならない、と優は緊張感をもって奥歯を噛み締める。するとインターホンの画面がざらつく。おかしい。故障などしていないのに。
 ざ、ざ、と映像が途切れる。砂嵐やノイズが入る。誰だてめえ。何のためにここに居やがる。どうしてジャンの格好なんかしてんだ。唸るように言うと、ドアの向こうの「ジャン」は口だけでにやりと笑った。
 背筋がぞ、と冷たくなる。嫌な笑みだ。
 いよいよ来るか、とトリガーにかける指に力を込める。すると不思議なことに「ジャン」はくるりと向きを変え、廊下の右側を歩いていった。どういうことだ、何か罠なのか? 奇襲をかけるつもりか? それとも、まさか───…?
 優はそれでもトリガーから力を抜かず、ぎゅ、と銃口をドアに突きつけた。心臓の音が嫌ほど頭に響いてくる。


「ジャン!」
「…ああ? 今度はなんだ?」
「カーテン隙間なく閉めて、それから布団被っててくれ。布以外見ないように…」
「…了解」


 優のただならぬ物言いにジャンは大人しく従う。座ったままばさ、と頭から布団を被り何も言わずじっとしている。緊張が漂う。
 優の頭の中はふたつのことで分かれている。
 ひとつは相手を追いかけるか、そのまま時が過ぎるのを待つかだ。背中にも嫌な汗が流れている。久しい。妙なプレッシャーだ。戦場の緊張感とは違う、目に見えぬものとの対峙。それに近い。
 不思議なことに、ドアの向こうの「ジャン」が過ぎてからインターホンはひとつもノイズを吐かない。やっかいだ、と優は舌を打った。
 銃で戦えるか?
 ぎゅ、と眉間にしわをする。廊下は一直線だ。まだそう離れてはいないだろう。追いかければ間に合う。どうする?どちらにせよ、危険は先に摘み取っておくべきだ。
 俺のジャンは俺が護る。これら思案の時間約6秒半。

 バン、と勢いよくドアを蹴開ける。
 ドアの金具がギシイッ、と唸った。それに気をとられること無く相手が歩いていった右方向にその銃口をつきつけ、続いて目に留まらぬ速さで反対の方向へも向ける。
 生き物の気配が、まるで、ない…。
 優はひときわ大きく心臓が脈打つのを感じた。そんな馬鹿な。一直線の廊下だ。障害物はない。他に部屋もあるが誰も使っていない。すべて空き部屋だがどれも頑丈に鍵がかかっている。そして特有の、生き物のはなつ気配も、生き物がいた気配も、なにも、ない。
 は、と息をして急いでドアを閉め鍵をかけ寝室へ向かう。銃は持ったまま寝室のドアを開ける。


「ジャン!」
「今度はなんだ? そのまま逆立ちでもしろってか?」
「ジャン…!」
「なんだ、よ、うおっ」


 羽毛布団の下にもぐりこんで、そのままジャンの首を捕まえ口唇を重ねる。布団の内側で見たジャンは確かにジャンだった。いつもの青い瞳を驚かせて、続いて細め、優の髪を嬉しそうに透き、その背をぎゅうと音がしそうなほど抱きしめる。間違いない、俺がジャンを間違えるはずないもの。
 ではしかしあの「ジャン」は一体なんだったんだろうか。


「…なあ御神苗? なんだったんだ今のは…」
「…多分…お前には戦えない相手だよ」
「なんだそりゃ」
「う…わ、鳥肌」
「おいおい大丈夫かよ」
「大丈夫…」


 今頃になって腕に震えが走る。
 ジャンは大丈夫か、と言って深く口づけ優の頭を撫でる。大丈夫、と胸に顔を擦り付ける。それは悪夢と何ら変わりない嘘のような現実だった。ひとつ言えることは、もうひとりの「ジャン」は確かに「ジャン」であったということ。これだけだった。


「なんだったんだ…?」
「お前とは戦う前から勝負が決まってる相手だよ」
「…どういう意味だ…?」
「…ああ、思い出したくもねえ…」


 ドッペルゲンガー、ってやつかな。

 優はぐったりとジャンに抱きつきその胸の中で小さく呟くような声で言った。それを聞いたジャンの背に、しっとりとひとすじの悪寒が走った。




* * *





「はい、もしもし、…んだよこんな時間に」
『…おい、てめえ俺のこと無視しやがっただろ』
「はあ?」
『折角コーヒーでも奢ってやろうと思ったのによ…』
「…おい…ジャン…」
『ああ?』
「…俺…今学校だぜ…?」
『…マジかよ?』


 つう、と、ふたりの背中に嫌な汗が流れる。


















●2007年08月30日
 ウィキさまによるとドッペルゲンガーというのは色々説があって、今回のこれはまたすごくオリジナルっぽいんですが…。
よく自分で自分のやつを見ると死んじゃうって聞くので、是非書いてみたいと思っていた…(笑)
戦闘シーンみたいのはほんと、いっそ無い方がいいんじゃねーの的にヘタなんですが…オイ誰か文才買ってきて。
 楽しかったので…もう…良いです…満足だ。(ちょう笑顔)
 そしてギャグにもシリアスにもなり切れてないというハンパさがなんとも…まあ…

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