何だか分かりたくも無いことばかりを頭に詰め込んだせいか、頭は酷く疲れていたのだ、多分。
朝。この日はそう、普段勉強は嫌いじゃないが特別、そう、勉強したくない日だった。少し懐かしい感じ。それでも単位が欲しくて出て行くしかなかった。取れる日に取る、出られる日に出る。そうでなければ、大学1年生から先に数が大きくなれやしないのだ。
曇り空、雨も降るなら降ればいい。ビニール傘を右手に持って、バイクに乗るのも面倒に思い珍しく徒歩にて駅までを行く。電車に乗り込み、スーツやら制服やら様々な人とその匂いの渦に巻かれながら、いつもの通学路、ついに大学へと到着する。。
なんだかとても死んでしまいそうな気がした。自殺する前の人間の心境は、もしや存外、こんなもんではないかなと。体はさほど疲れているわけではないが、なぜかとても頭が疲れていた。あれ俺、昨日なんかしたっけ?
不意に携帯のメール着信音が響いた。講堂内で振り返る人が居る。ごめん笑点のテーマとかにしてるのは俺ですすいません。おもむろにマナーモードに切り替えてから差出人を確認すると、それは。
遠くフランスに居るはずのいとしい大事なヒト。
だなんてうっげええ、なんだこの文字の並びすんげえ気色わりぃなもう。鳥肌もんだぜ。
なんだなんだろうなこんな時間にと文字を眼で追う。簡単。たったの3文字。「うしろ」。うしろ?はて、うしろ? と振り向いてみると講堂の入り口のところに見慣れた金髪のロン毛頭が。あーり得ねえーなんて思いながらあんぐり口まで開けてうっかりマヌケ面をさらすとしししと笑う。
ジャンだ、ジャンが居るぞなぜか。
「なあ…なんで居んのお前」
「ふっ、御神苗が恋しくて会いに来た」
「しっ、ばっか変なこと言うんじゃねーよ!」
きゃあきゃあと黄色い声を上げる女性陣の皆様と珍獣を見るような目つきでその金髪の後頭部を追う健全にも大学生男児の視線を掻き分けジャンは俺のすぐ隣に座った。
お昼休みです、ジャンさん。
「変なこととはなんだ。遠くフランスから会いに来たのに」
「うん分かったそれはごめん。でも俺これ一応、大学の講義だったんだよな」
「知ってる」
「何で入れたわけ?」
「入れてくださいって言ったら入れてくれたぜ」
ろくでもないなとため息をつきながら、ジャンはさも機嫌が良さそうににこにことした。あああ、何がそんなに楽しいんだろうか。こんな妙な日に。
「…嬉しそうな、お前」
「久しぶりに見たが御神苗…やっぱりお前、かわいいぞ」
「殺したろかいオイ」
「御神苗、美味いか?」
「ああ、うんまあ…それなり…」
「じゃあこれもやる」
「ん」
「これは?これもやる」
「…うん。つかお前全然食ってねえじゃん」
そのまま結局キャンパス内の食堂へと向かった。できればあまりジャンを人目に晒したくなかったので(どこに行っても人だかりが出来るから)、適当に外で食おうと思ったのにジャンが何の問題があるんだもう少し乾くまで外に出たくないんだと引きずって結局来てしまった。ジャンのジーンズの裾はすっかりと濡れていた。
大学の校内を歩いている間に濡れてしまったらしい。カフェテラスに来て初めて雨が降り出していたことに気が付いた。
「つうかなんだ。何でどいつもこいつもこっちを見てるんだ?」
「……ジャンが目立つから」
「そんな訳あるか!見ろ、」
ジャンはどこか自慢げに両手を左右に開く。Tシャツにジーンズ。これほど簡単な服装は無いしラフで大学生にもなじんでるだろと言い張る。
「そういうもんでもねえんだけどなあ…」
「じゃあどういうもんなんだ」
「うん、まあ気にすんなよもう。飯食えよ飯を」
「…御神苗、何か疲れてるな」
む、鋭い、とジャンが皿の上に差し出したエビフライを齧りながら思う。
「なんで?」
「いや。なんだか」
飯を不味そうに食うから。
「は、飯?」
「そう。飯」
御神苗は、
飯を本当に美味そうに食う。体が疲れてるときは構わず元気に飯を食うが、精神面で疲れているときには本当に不味そうに飯を食う。ずっと前に御神苗の部屋に言ったときも難しい顔をして論文なんかを書いてて、昼飯に俺が気をきかせてパスタをこさえたときもあまり美味そうに食ってくれなくてそれなりに凹んだ。
と、言うのである。
「…知らなかった…」
「なんだ意識になかったのか?」
「ねえよ、当たり前だろ」
美味そうに食おうとして飯食うやつなんかそうそういねえだろと言う。
「…でも…それをいうなら、ジャン」
「あ?」
「俺にもそういうの心当たりがあるぞ」
「なんだよ」
「お前さ、イライラしてるときよく手組んでる」
「? そうだっけ?」
「うん。でしかも左手の小指が痙攣したみたいになってる」
「…嘘だろ?」
なんで嘘を言うんだよとエビフライを齧って飲み込む。
「……そういえば…そんな気、しなくも、ねえ、かな?」
「だろ!?」
「御神苗、何でそんなこと知ってんだよ」
「さあ…」
たまたま気が付いた? の、かな。
ジャンは付け合せのキャベツの千切りの横っちょにあった薄く切ったキュウリを指でつまんで口に入れた。その指先を目で追ってしまう。口を動かすジャンと目が合う。ふんわりと笑う。
つまりジャンは俺が飯を食っているのを向かいに座っていつも見ていたわけだ。向かいに座るのだから視界に入るのは当たり前だけれどそうではなくって故意に、「見よう」と思ってみていたわけだ。もしかすれば俺が他に何か食べていたりしたのも見ていたのかもしれない。映画のDVD観ながらのポップコーン、ドーナッツ、談笑の間のクッキー、クラッカー…その他もろもろ。
「なあ、ジャン。俺、何食うときも美味そうにしてる?」
「うん。菓子もそう」
嘘がつけないからな、不味いもんは不味そうに食うぜ、と声高く笑う。思わずため息が出る。
「…あんま見んなよ。恥ずかしいだろ」
「気にすんな。褒めてんだからよ」
「…何かちげー…」
「あ、そうそう癖と言えばなさっきの…」
その後の会話で俺とジャンの座るテーブルは大変にぎやかになり、気が付くと他の学生も混ざって話をしていたのだけれど。そうそう、外国語講座の、矢野ってのか。あいつな…こうで、こう…だろ!?そうそう。それ!いっつもそうなのなあ、んでペン先がさ…なあんて。
ジャンが人のクセを拾い上げるのがうまいということを初めて知った。観察力、と呼んでしまってもよいのだろうか。繊細そうに見えて実は存外ガサツな性質なものだから。
ああ、とすればジャンはもっともっと俺のことを知っているのかもしれない。俺自身、知らないことを。
でもそれはジャンに対しても言えることなのだ。俺は俺が気付いていないだけで本当は沢山のジャンを知っている。はずだはずなのだ。一ヶ月も一緒に居られない。半月も同じ。一週間強が限界だ。その一週間強や任務先での短い間に俺はきっと沢山のジャンを見て、聴いて、覚えている。それはジャンも同じだ。沢山の俺を知っている。
じゃあジャンは知っているだろうか。気が付いているだろうか。お前の携帯電話の待ち受け画面が俺の寝ている顔だってこと隠してるけど俺が知ってるってこと、俺の携帯のサブディスプレイがお前の後頭部の写真だったりすること。部屋のソファーとテーブルの隙間を前より10センチくらい広くしたのは?考え事をするとたまに親指の爪を噛むお前のことは?
気が付くと当たり前だったお前のことだけど、俺は沢山知っていて、まだまだ沢山知らないね。
「お、御神苗」
「んん?」
「機嫌直ったな。もっと食え」
「うん…」
「御神苗、お前、やっぱりかわいい…」
「日本語で言うなよなそれ、絶対だからな!」
「なんで元気なかったんだ?」
はて、今朝なんであんな元気なかったんだっけ。なんで疲れてたんだっけ。なんでそんなに面倒だったんだっけ?昨日なんかしたんだったっけ?
美味そうに、飯を食える幸せ。それは「当たり前」の人と共に。
「さあ。忘れちまったよ」
●2007年03月26日
ちょっとだらだら書いてしまったもの。
最初はもっと湿っぽい話になる予定でした。でも、そういう話は、きっと読むのも書くのもしんどいので、これで、よし。
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