【 8 】







「腹…へったな」
「そうだな」
「…なあ、俺ほんと金ねえぞ」
「大丈夫だ、勘定は俺が払うから」


 前々から不思議に思っていたことがある。
忍というものはそれほど金をもらえる仕事なのであろうか。男はあの夜帰ってきてからは夜中に出てゆくこともなく、ひらすら家事と縁側の猫の相手とたまに買出しをしているだけである。金が入っているとは到底思えない。それであるのに。
 まったく訳が分からないが金があるのである。男は居候の礼に、と町へ出ては妹にすっと手が出るようなそんじょそこらのおもちゃとは違う一段高価なものを買ってきたり、弟と本まで買いに行くのである。(当時本はとても高く、一般市民がそうそう手の出せるものではなかった)一体どこから出てくるのか知れぬがなぜか金がある。底なしに怪しい金である。


「なあ、」
「ん?」
「お前さ、一体どっからそんな金が出てくるんだ?」
「まあ色々とあるんだよ」
「そんな金貰える仕事なのかよ」
「場合によっちゃ、な」
「……」


 それにしても、こんなガキにちきんと勘定が払えるのだろうか、だとさ。と、男はすました顔で話をそらし店の人間の文句を口にした。こうしてうまくはぐらかすか答えないので聞くだけ無駄なのだがどうにも気になる。第一弟や妹らにあれだけのものを買い与えているのに本当にまだ金を保有しているのだろうか。この机についてからというもの隼人はどちらかというとそればかりが心配であった。第一に腹が減ったと言って団子屋ではなく鰻屋に足を運ぶ辺り、もう既に金銭感覚が狂っているとしか思えない。


「あのよ、お前、たまに町に出て、」
「高え髪飾り買ってくんだろ」
「なんだ知ってたのか?」
「前にちらっと見かけたんだよ。なあ、あれはどうしてんだ?」

男は首をかしげてさあなあ、と笑った。

「誰かにやってる…んだよな?」
「誰かって…?」
「その…女とかさ」
「なんだ、隼人も欲しいのか?」
「…阿呆かてめえは。んなわけあるか」


 俺が頭に花飾りなんざつけてどうすんだ。隼人は呆れ顔で向かいに頬杖をついて微笑む男を見た。似合うのに、と男は相変わらずつかみ所なく微笑んで言う。似合ってたまっかよ、と隼人は心の中で舌を打った。


「それよりな、隼人」
「ああ?」
「暇だな」
「…まあな」


 鰻は時間がかかる。
 鰻を捌くには時間を要する。なにせ鰻は力が強い。よほど慣れた人間でなければ捌くことは出来ないのである。素人では掴むことすら出来ない。
 しかも足を踏み入れた町の外れの上等な店ばかりが並ぶなかのひとつであるこの店は注文を受け取ってから調理を始める。一から。おまけに人の少ない時間である。注文の品が届くのも当然、遅くなる。


「座敷に移るか」
「座敷移ってどうす……マジ?」
「いやいや、だって、なあ?」


 金がないなら、体で払ってもらうまでさ。
とは、悪徳高利貸なんぞがまさに口にしそうな並びの言葉であるがそれを、たった今、男は隼人の耳元に口唇を近づけて低い声で言うのである。ぞ、と、背筋に悪寒が走る。
 男はもとの位置に戻ってはにこにことした悪意のなさそうな笑顔を浮かべこちらを見つめている。変な汗が隼人の額に浮かぶ。……やっぱりこんなところ、ついて入るんじゃなかった…。隼人はやや前のめりになり何か後ろめたい隠し事があるようなときのように、肩をすくめては視線はあちこちを泳いでいる。


「さあ、どうしようか隼人」
「あ、あの…その、」
「タダでうなぎは食えないよなあ、世の中」
「ごもっとも、で、」


 ごもっとも、だけど、いや、無理だろこれは。
いっそまともに金を払ったほうがましだと思いながら、少し目線を上げて男を見つめると、そこにはいかにも楽しそうに自分を見ている顔がある。にやにやとしている。ちくしょう。


「いや、でも俺…そいうのは、ちょっと…」
「なあに、ものは試しさ。俺だってないけど、まあ、」


 なせば、なかなかいいもんかもしれないぞ。
隼人は益々あせって口を開いたままけろりと、まるで夕飯の豆腐を木綿にするか絹ごしにするかを悩んでいるときのような口調で言う男の顔を見ている。ああ、どうしよう。このままでは俺がうなぎを食う前に俺がこいつに喰われてしまうかも知れない…。


「……………」
「……ふ、……は、はやと…そ、そんな、そこまで…悩むなよ…」
「…は…?」
「だって、お前、……ははは、それはちょっと、…なあ?」
「なっ…何だよ!!」
「…ひっ、…だって、そんな…そこまで悩まなくても……」
「なっ、おま、そ…そんな笑ってんじゃねえよ!!」

 俺は本気で喰われるかと思ったんだぞ!!


 男はとたんに弾かれたように大いに笑い出した。そりゃあそうだ。考えても見ればありえないだろうよ。でもな、でも俺は、お前だったら本当にやりかねないと思ってすげえ怖かったんだぞ!!
 男はてんで聴いちゃ居ない。ひたすら顔を真っ赤にして抗議する隼人を見聞きし大笑いしている。だから余計に腹が立つ。しかし、どうにも、腹の底からは怒れない。


「はいよ、お客さん」


 店の人間が机に二人分の重箱を置き怪訝そうに帰ってゆく。一方の隼人は目の前の光景に目を見張る。店内に立ち込めていた腹に響く匂いがさらに一層濃く、先ほどまで存在を忘れていた腹の虫を鳴かす。そこには更に肝吸いまで置かれている。


「…お、お前、重じゃねえかこれ!しかも肝吸いまで…」
「…ははは、…あ、あれ、丼の方が…良かったのか?」
「ち、ちがう、けど、でも…」
「じゃあさっさと食えよ。米がふやけちゃ…不味いからな」
「お、おう…っ、つーかお前…笑いすぎだろ…!」


 店の人間によって目の前に運ばれてきた鰻、それも鰻重である。隼人は若干狼狽しながら未だににやにやしながらさっさと蓋を開け食べだす向かいの男を見つめ、それから振り払うように自分も箸を取った。
 口の中いっぱいに贅沢な甘さと油の乗ったうなぎ、山椒の香りが広がる。


「いやあ、ほんとうに面白いな隼人は」
「今時生娘でもあんな反応しないかもな」
「…っうっせえよ!」
「…はっ…、いやいや…だから好きだよお前のこと」
「な、好きとか言ってんじゃねえよ馬鹿…!」


 周りにほんとうにそんなだと思われたらどうしてくれんだ、こんちくしょう。あと喜びすぎなんだよこの変態野郎。隼人は赤くなったままがつがつと重箱の中身を口へ掻き込んだ。涼はいかにも楽しそうにその様子をみながらぼちぼちと鰻を口へ運んだ。隼人は涼のわらいが完全に納まって肝吸いに口を付け出すまで、その鰻がどれだけ上等で美味いものなのかも分からなかった。
 しかし申の刻、店を出るころにはすっかり機嫌は直っていた。























●2007年7月21日 
 2007年は7月30日が土用の丑の日ですね。だけど今回の話は別に丑の日で鰻食ってるわけじゃないです。
 こうやって隼人は高槻さんにさんざ遊ばれれば楽しいと思います。この後二人は家の人みんなにズルイ!って怒らりる…(益々楽しそう…
鰻屋が昔で言うらぶほてるみたいなことをしてたのもほんとらしいです。
 大人と子供の間みたいな歳の男子が高級なお店で向かい合って、片方はずっとにこにこしてて、もう片方は青くなったり赤くなったり、しまいには怒り出して片方は爆笑して…って、かなり観察していたいですよね(笑




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