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「おい兄ちゃん、聞いたかい?」
「…何を?」
面倒だな、話しかけるなよ。
何かやっかいなのにからまれた。にしてもなんだか干からびてるなあ、このキャベツ。他にいいのはないのかい?そっちのニンジンもおくれよ。おじさん早くして、姉ちゃんが家で待ってるんだ。
大柄な店主の手の平にコインを落とし、バスケットの中に次々と野菜を放り込んでいく。その隣には未だひとりのお喋り上戸の酔っ払い。
「狼さ。また出たんだとよ」
「…へえ、そいつは大変だね」
面倒な酔っ払いは標的を変える。
ようお前、聞いたかまた狼が出たんだとよ!
そういえばこんな台詞をどこかで聞いたな。ああ、うそつきの羊飼いの話。うそつきな羊飼いが、狼が出たぞ!っていうんだ。そして本当にオオカミが出たときに、だあれも助けちゃくれなくて、羊はみいんな食われちまう。
優はバスケットの中でじゃがいもが転がっているのを感じて、中を確認するまでも無く腕を突っ込んで端のほうへ追いやり、そのなされるがままの動きを止めてやった。蓋からはみ出した緑のチェックのクロスも残らず押し込める。
赤色の窓の縁の家から、甘いにおいが漂っている。これはそう、シナモン・アップル・パイの匂いだ。
「なんだ、今度は何があったんだ」
「何でも子供を食ったらしいぞ」
「そんな馬鹿な!どこの子も居なくなっちゃいない!」
「なあんだがせじゃあないかい」
「また畑の野菜が盗まれたって聞いたぜ」
「俺は飼い犬が居なくなったって聞いたけどな」
どれもみんな嘘だろうよ、と、優は。
狼は毎日おんなじ、薄暗い部屋で薄く切ったパンからカビを剥がして、薄い塩と豆のスープに浸けて食べているのだ。大きな耳と尾を見ればみんな恐れてまともに買い物も出来やしない。そうして仕方なく毎日同じものを食べてる。
凶暴で、残虐で、そんな狼はどこにだって居やしない。体はすっかり細くて、背だけはひょろりと高くて、それでも美しい髪と青い瞳をもってる。
いつだったか、昔は人間の子供を喰ったと得意げに笑ったけれど、本当はそんなこともせずに目深に帽子を被って肉屋に鶏肉を買いにいったんだ。
「それでも子供が居なくなるのも時間の問題さ」
いっそ森を切っちまえ、と、誰かが。
馬鹿げてる!
畑の野菜を盗んだのも家畜を攫うのだってみんな誰か、ばかな噂話にそそのかされただけのただの泥棒で、早朝に塀が壊れているのだって、悪夢にうなされた羊がトチ狂って体当たりして壊したのさ!
みんな馬鹿げてる。そんなものは嘘がだいすきな時計台下のお喋りたちの作った幻影だ。
そんなことをしてみろ、あいつは、狼は、狼のジャンはどこで生きればいい?
20070627
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