【 4 】
「どきなさい!!」
江戸の町はいつだって賑やかである。人と活気に溢れている。
家事をするか、そうでないときには縁側で野良猫に餌をやってばかりいたので(お陰でここ数日の間にすっかり野良猫が居ついてしまった)町に出ないかと誘ったのである。
顔がばれるのは良くないと渋ったが、少し前に知り合いの鋳(い)かけに鍋の修理を頼んだ。それを持ち帰るに人が欲しいと言いくるめ、町に出した。そうでもしなければ、また野良猫が増えてしまうからだ。
* * *
男の住んでいるところは田舎で、ほとんど自給自足の生活を送っているのだそうだ。
山に囲まれ他国から攻めにくい地形にあったために、戦国のときですらほとんど被害を被らなかったんだそうだと語った。各家庭に牛や馬や鶏を飼って、昼間には畑を耕したり、田の世話をしたりと農作業をする。里の周りには豊かな緑が溢れ大きな川が流れており、そこから分かれた小川の中には、小さなやまめとか沢蟹とかいもりとかが沢山住んでいて、幼い頃によく遊び浴衣を濡らして母にしかられたのだとも。夏になると友達と林へ出かけて昆虫を取ったりもした。とにかく遊ぶことにかけては苦労しなかったという。そんな故郷とかけ離れた町に興奮したのか、子供のような目をして饒舌になった。
隼人も幼い頃少しだけそんな田舎で暮らしていたらしいが、この江戸に越してきてからは一度もここを出たことが無い。
「へえ…そいつは良いな。俺もそういうところで育ちたかったぜ」
「江戸は初めてなんだ。どちらかというと京の都の方に用があることが多かったからな」
隼人は一歩後ろくらいを歩きながら、ふうん、と気のない返事をしながらも、一体どんな用がであろうかとぼんやり考えた。
「それでね、あそこ!あそこによく飴屋が立ってるのよ」
キャロルはすれ違う顔見知りの挨拶も蔑ろに、ぐいぐいと手を引きあちこちの説明をする。
それに対して男は嫌な顔ひとつせず、たまにほう、とかへえ、とか返事を返している。
するとなにやら遠く向こうのほうが騒がしい。人垣が左右に分かれて、誰かが口々に叫んでいる。
「待ちなさい!皆避けて!」
段々と近づいてくる。何だ何だと俄かにこちらのほうでも騒がしくなる。
「…物騒なものを、持ってるな」
眉間にしわを寄せ男は立ち止まる。
連続して掏りがあっただろうあいつそれの犯人じゃねえのかと、民衆の中の一人が言った。そういえば家を出るときに、掏りに気をつけなさいとじじいがキャロルに言ってたっけと、隼人は思い出す。
「待ちなさい!」
よく見ると、盗人の男を追いかけている数人の先頭を行くのは、一人の少女である。
「あっ、恵お姉ちゃんだ!」
キャロルが嬉しそうに言った。お姉ちゃん? ここの家は一体何人家族なのだろうかと男は首をかしげる。
「あいつもまたやってんなあ」
そうしてどんどんと真っ直ぐこちらにやってくる。盗人も横の路地にでも逃げればよいものを、必死なのかただ真っ直ぐ振り切ろうとしているのだろう。しかし、なかなか足が速い。
「恵お姉ちゃん大丈夫かな…」
彼女の名は恵といい、南町奉行所の岡引きなのだそうだ。新宮家の人間ではなかった。幼い頃に両親をなくし、拾われてそこで育ったのだという。男ばかりに囲まれて育ったもので喧嘩っ早く気も強い。だが足が速く運動能力が優れているので、若くしてここらの治安を任されている。最近ではめったに来なくなったが、よく新宮道場にも通っていたそうだ。
隼人兄ちゃんったらもうちょっとだけ尻に敷かれてるのよと、キャロルは本人に聞こえないようにそっと耳打ちした。
「おい、隼人。もうすぐこっちに来る。止めてやれよ」
「なんで俺が!」
「鍛えてるんだろ?」
「お前が行けばいいだろ!」
「目立つようなことはしたくない」
すると隼人は、あんまり恵には関わりたくないと独り言のように言った。
「皆避けて!!そいつ 刃物を持ってるわ!!」
民衆がざあっ、と脇へ退いた。悲鳴も上がる。
そしてこちらもひい、と小さく短く悲鳴を上げながら走り去る盗人の男。
それを追いかける岡引きの少女。
ごう、と正面から思い切りすれ違う。
その表情、ものすごい剣幕である。
隼人の発言などからも間柄を確認し、だがこのまま放っておく訳にもいかない。彼女も相当息が上がっている。少しずつ盗人との間が広がっている。ここまで来るのに後ろについていた他の岡引きも、一人、また一人と脱落していった。
一体どこから走ってきたのだろうか…。
「本当にほっといていいのか?」
隼人は何も言わない。もう大分遠くへ行ってしまった。それでも足が速い。しかし間も無くきっと少女は獲物を取り逃がしてしまうだろう。ふーっ、と深くため息をつくと、男は履いていた草鞋を片方、そしてもう片方と脱ぎ、それをすまないが持っててくれとキャロルに渡す。
「おい、リョウ、どうすんだよ」
「追いかける」
「…モノ好きなやつ」
「隼人も一緒に行くんだよ」
「なっ…うおっ!」
一瞬にして視界がひっくり返る。
何が起こったのか認識するのには時間はかからなかったが、同時になんということをするのだと熱が上がる。男は言うや否や走り出すと同時にいとも簡単に隼人を肩に担ぎ上げたのだ。そしてそのままどんどんと加速する。
「はっ…馬鹿!降ろせ!!」
「じゃ自分で走ってくれ」
「分かったから降ろせって!!」
風を切り、器用に人垣の人を避けて行く。降ろすぞ、といって急に降ろすもので、足がもつれて大きくバランスを崩して転びそうになるが、そこは耐えて後ろをついていく。
「バカヤロ──!!!」
んもうここまできたらどうにでも成ってしまえと走る走る。しかし早い。男は少しも人にぶつからない。だんだんと人の足が増えてきている。それでも間を縫って器用に動く。辛うじてついていけているという感じだ。
きゃあ、という町娘の悲鳴や気をつけろという野次を遠く聞きながら、早くも息が切れる。あの男といい恵といい、どうなっているのだろうか。
暫く走っていたが、段々と男との間が離れてしまい、橋の上で辛抱堪らず立ち止まる。汗が流れ落ち、肩が上がる。体全体で息をしているような感覚だ。
「…はっ…あいつ…なんなんだ…ホントに…」
それでもこの後に恵や、そしてなにより男に馬鹿にされるのが悔しくて、また走った。
* * *
一方男は、少女との間をあっさりと詰めながら走っていた。
後ろでひとつに束ねた長い髪が揺れている。速度が落ちている、と思った。こちらは更に速度を上げる。屋根の上を走ろうものならどんなに楽だろうと思ったが、真っ昼間、活気溢れる江戸の町中でそれは叶わない。
「掏りか?」
とうとう少女の横に並ぶ。岡引きは誰一人としてついて来れていない。民衆が唖然としてざわめいた。驚いたのか少女が横を振り向くと、息が続かないのかごくりと唾液を飲み込み、ただひとつ目を見てこくんと頷いた。
「俺が前に回る。後ろから隼人が来るはずだから、二人で何とかしてくれ」
少女は一瞬怪訝そうな顔をしたが、またすぐに頷いて、速度を落とした。男はそのまま掏りを追いながら、右手側にある横の路地に走りこむ。眠っていた野良猫が驚いて走り去ってゆく。洗濯をしていた娘が驚いて悲鳴をあげ、野菜を手に取った女がそれを取り落とす。
ここだ、と思った。そこで右足を突っ張って止まり、そこでそのまま右足で地面をける。その勢いで路地を駆け抜け、表通りに出る。
「待て」
ジャストである。丁度飛び出したところの手前で、財布を持った盗人の男の姿をとらえた。男は悲鳴を上げ、元来た道を引き返す。そうすればもうこちらのものである。
引き返してきたぞ!という民衆の中の誰かの叫びに、またざざあと道が開く。そしてその開いた道の真ん中に恵が立っている。
「さあ…もう諦めなさいな」
じり、とにじり寄ると盗人の男は叫び声をあげて、すぐそば茶店の前に居た娘を捕らえ持っていた刃物を突きつけた。とたんに民衆がざわめき、捕らわれた娘が細く乾いたような悲鳴をあげる。
「カツミ!!」
ちょうどその頃、隼人が現場に到着する。到着するや否や、上半身を前に垂れて両手の平を膝に当て支えるような形を取り、絶え絶えに息をする。
「そんなことしても無駄よ!!その子を放して頂戴!!」
「近寄るな!!」
男は更に、そのカツミと呼ばれた娘の顔に刃物を近づける。娘は目に涙を溜めて震えている。
「動くな…動いたら、娘の命はないと思え…」
そう言いながら娘もろともに後退していく。このままではまた逃げられてしまう。しかし動けば娘が傷ついてしまう。恵はぎゅうと眉間にしわを寄せ今にも泣き出しそうな顔をした、
その時。
「うあっ」
男の手から刃物が落ちる。
一瞬何が起こったのかその場に居合わせた皆分からなかったが、その一瞬の隙を見て、恵が体当たりをするようにして男から娘を引き離した。男はよろめく。その足元には、小銭が一枚転がっていた。
「隼人!」
胸に少女を抱き、振り返って恵が叫んだ。それでも向こうへと逃げようとする盗人の男を後ろから追いかけ、肩を掴んで渾身の力で振り向かせる。
「そんなもん振り回したらなあ…」
くるりと振り返り右腕を肩の上に乗せ、相手の体に背中を沿わせてそのまま思い切り前へ体重をかけ、
「アブねえだろうがこの盗人野郎!!」
それはもう見事な、一本背負いというやつである。
* * *
その後、盗人は後ろからやっと追いついてきた南奉行所の他の岡引きによって、連行されていった。その場はもう拍手喝采である。隼人と少女二人の周りには、その功績を称える人々の賞賛に溢れている。
「ああ、カツミ大丈夫!?怪我してない!?」
「うん、大丈夫よお恵ちゃん」
未だに息を切らして民衆の声に適当に返事をしながら、人垣の向こうに息ひとつ切らさず涼しい顔をした男の姿を見つけた。そうするとその隣で、やっとのこと後ろから追いついてきたキャロルが先ほど預けた草鞋を渡している。そうしてそれを地面に落として足を通すと、むこうも人垣を通してこちらの姿を見つけ、目を合わせると「先に帰る」と口で話した。返事を頷きに変えて返すと、「ご苦労さん」と笑んでややうつむき加減で猫背になり、またキャロルに手を取られぐいぐいと鋳かけのある方へと引き返していった。
皆男には見向きもしなかった。自分を走らせた本当の意味はこれだったのかと心の中で舌を打った。
●2007年2月7日
読み辛い改行で申し訳ないです。
ここでもキャロと忍者の組み合わせ好きが出てしまうという…
自分のモエを発散するだけなので色々めちゃくちゃです。
※鋳(い)かけ…お鍋とかを直してくれるお店のことだよ
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