【 5 】





 連続掏りが捕まった。その日のうちに瓦版が配られ、江戸の町人の話題はそれで持ちきりである。
 やはり南奉行所の恵といえば知らぬものはないという感じではあるが、この事で新宮家古武術道場は名が上がった。前々から名が通ってはいたが、実際にここまで露骨に町人の関心に触れたことはなかった。
 そして何よりも、江戸一番とも歌われる恵の足を追い越し、お縄に手を貸してもう既に「ハヤブサ」、
なんて呼ばれているあの男である。
 何せ素性が一切分からない。足止めを食わせるとすぐにその場を立ち去ってしまったという。
 分かっている事と言えば、性別くらいである。隼人が民衆に囲まれているときにさっそく瓦版の記者に男のことを尋ねられたが、見ず知らずのやつで全く知らないと言っておいた(実際に本名でさえ確かではないようだし)
恵にも同様尋ねていたが、知らないわよとカツミと呼ばれた娘の手を引いて、奉行所のほうへと無理やり帰ってしまった。


「…やっちゃったなあ…」


 また縁側に腰掛けて、味噌汁のだしをとった後の昆布を小さく千切って細身の野良の三毛猫に食べさせながら、人ごとのようにつぶやいた。


「また、外に出らんなくなっちまったなあ…」


 どうしようかなあ、と猫に語りかけるように言うと、勝手口の方向からまた新たな猫が現れた。男はちっちっと嬉しそうに目を細めて舌を打ち、その猫を呼んだ。にあーと鳴きながら近寄ってくる。足元にはもう既に四匹もの猫が屯しているというのに。


「だったらもちっと深刻そうな顔しろよ」


 何やら疲れた表情で腕を組んで座敷から現れた隼人の後ろには、南町奉行所の看板娘の恵と、更にその後ろには盗人の人質にとられた娘が立っていた。後ろの娘は小さく微笑んで一礼した。
男は、自分も口に入れた昆布をもぐもぐとやってから飲み込み、微笑んで礼を返した。その男の足元で、猫がにゃーんと一声鳴いた。




* * *



「で、あんた誰よ」


 恵ちゃん、とカツミと呼ばれる娘は嗜める。出されたお茶と持ってきた茶菓子を食べながら、机を挟んで男を見ている。


「…居候です」


 こちらはこちらで早二つ目の菓子に手をつけながら、微笑を崩さないで答えた。縁側ではまだにゃーにゃー猫が鳴いている。


「名前は何て言うの」
「人に名前をきくときはまず自分から名乗るもんだろ?」


聞き覚えのある台詞に、隼人は思わず小さく吹き出した。あからさまに怪訝そうな顔で恵が隼人を見やる。そしてまた胡散臭いものを見る目で、リョウを見据えた。


「…南町奉行所の恵よ。こっちが双子の姉のカツミ」


 なるほど確かに顔かたちがそっくりである。恵は長く伸ばしているが、カツミは短く肩の辺りで切りそろえてある。それを覗けばほとんど瓜二つだ。だがしかし性格はとても対照的な姉妹であると思った。妹である恵は活発的で、姉のカツミは大人しく、淑やかだ。カツミは先ほどのようにまた一礼した。それにあわせてリョウもまた、頭を下げる。
 なんだか先に進まない会話であるなと、隼人は思った。


「俺のことはリョウと呼んでくれ」

そしてこちらもあのときと同じように語尾を濁した返答である。勿論微笑みは崩さない。

「漢字は?」
「は?」
「だから漢字よ。どう書くの?」

 男は茶を啜り、ふうとため息をつく。

「…さんずいに『京』、と書いて、『涼』だ」

 涼しい、って書くのねと言うと、頷いてまた茶を啜った。なんともいえない空気である。隼人はどうにかこの場を抜け出したく思った。

「居候って…なんの居候なの」


 父と修一郎殿が親友同士で、自分の父がつい一年ほど前に他界したのを機に、ここの新宮流古武術を習得しに田舎から出て来たのだと口から出任せもいい所である。しかし取り敢えず恵はそれで納得したらしい。


「昨日は助かったわ。あんたのお陰で掏りも捕まったわけだしね」


 言葉とは裏腹にちっとも有難そうに発せられていない発言に、そりゃどうも、と三つ目の菓子に手をつける。まだ食べるの?と言われながらも微笑んで返し包みを開ける。


「…盗人の手に小銭投げたのもあんたなんでしょ?」

 表情ひとつ変えず、目だけを相手に向け、指で崩した菓子を口に運ぶ。

「さあね」


 ちり、と恵の眉が動く。ああ、なんつーことを。隼人は出来る限り早くここから逃げ出したかった。そろりと席から動こうとすると、すかさず恵に一瞥されて叶わない。一触即発の雰囲気である。


「あの足といい、あんた、只者じゃないわね」

 何のこともないただの居候だ、と茶を啜る。隼人とカツミは居心地悪そうに、ほぼ同時に茶を啜った。

「……まあ良いけど。厄介ごとは起こさないでね」


 行きましょう、と席を立つ。ほっと肩を撫で下ろす。
一応送ろうかと言ってみても、私を誰だと思っているのとの一言で終わりである。それでも途中まで(人の少ないところまでだが)送ろうと涼が言うと、カツミがそれでは、と恵を丸めた。


「…あの…」

 ここまででいいわ、と恵がいうので家に引き返そうとすると、カツミが更に小さな箱を差し出している。

「これは?」
「お菓子なんです」
「…そりゃどーも…」


「お恵ちゃん、あんなことばっかり言うけどほんとは良い子なのよ。お奉行所からお仕事をもらってから急にあんな風になっちゃって…」


 と、小さな声で言った。話によると奉行所で正式に岡引きの仕事を与えられてからは常にこんな態度ばかりを取るようになったらしい。権力とは怖いものだ、と涼は思ったが、彼女には何か別のことが関係あるのではないかとも思った。だから、懲りないで仲良くしてあげてねと微笑む。よく出来た姉であるなと感心する。
行くわよ、と言われはあいと笑って返事をし、最後にまた一礼して背を向けた。きっと妹である恵は、姉が見えぬところで苦労をしているのを知らずに居るのであろう。岡引きの姉も、なかなか大変である。

 姉妹はやはり姉が後ろについていくような形で先を帰っていった。



* * *




「…駄目だ駄目だ…どうもあいつは苦手だぜ」
「そうか?なかなか面白い姉妹じゃないか」
「てめえは知らねえからんなこと言えんだよ。…恵のやつが切れるとめちゃめちゃ面倒くせえんだぞ」


 もうちょっと尻に敷かれてるの、というキャロルを思い出してにやりとやる。男は茶の続きをしよう、と饅頭の箱をもって家の方へと帰っていく。くあ、とあくびをひとつ。まさかこれがあの「ハヤブサ」だなんて誰一人として思わないだろう。
 恵はお前のことを誰かに口外したりしないだろうかと言ったら、頭のよさそうな顔をしていたから大丈夫だろうと笑った。その確信がどこから湧いてくるのか全く分からない。


「…なあお前、ほんとは何て名前なんだ?」
「『涼しい』、と書いて『リョウ』だよ」


 と、前を向いたまま手を振る。早く来い、というので背中を追いかける。そのころ新宮家の庭と縁側では、野良猫六匹が絶えずにゃあにゃあと鳴いていた。




















●2007年2月9日 
三毛猫と忍者モエ。
とげとげした恵ちゃんにちょっとそれが苦手な隼人モエ。








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