【 6 】
昼前、縁側に座り一匹を膝に乗せ、一匹を肩に乗せ、合計八匹の野良猫の相手をしていると、外に出ないかと誘ったのは新宮家次男のアルである。人の多いところは厄介だが、人の少ないところになら付き合おうと外に出た。スリの一件から三日経ったときである。
新宮家道場から少し離れたところに、神社がある。正月の初詣は毎年そこで済ましてしまうのだそうだ。僕は神様とか仏様とか何も信じていないから、どうだって良いんだがなとアルは付け足した。
神社の入り口には少し塗装の禿げかかった朱色の鳥居があって、左右に狛犬がある。土がむき出しの境内を進むと、その一番突き当たりに本殿がある。
神社の周りには民家があって、それを遮るように無数の木が生えている。それらは主にどんぐりだとかしいの実だったりした。そこから無数に伸びた枝やら葉やらが、太陽の光を遮っている。そうして本殿の石段に、それぞれ下から五段目にアルが、三段目に男が座った。
その日はまたよく晴れた日で、形を成せない雲が溶け出し混ざったような薄青い色をした空が広がっていた。暖かい、風もないような日である。
「ところで、お前」
「んん?」
足元に落ちていた枯れた木の葉なんぞを太陽に透かしてみたりしていた男が振り返る。
「お前、『忍』なんだろう?」
「…否定はしないな」
民家に落ちたりしてるけど、と笑う。
「だったら忍術のひとつふたつは出来るんだろう」
男は首をかしげ、そんなものが見たいのか、と問う。
「…そうだな、見たいなら見せてやろう。丁度良い相手も来てくれたことだし」
丁度良い相手とは誰だろうかと思案していると、まもなく新宮家長女のキャロルが通りかかった。足音すらしていないのに気が付くなど、アルはもう既に忍術の端を見たような気がした。おーいと呼ぶと、ぱっと顔を輝かせてこちらに寄ってくる。
「二人してこんなとこで何やってるの?」
「キャロル、今朝の味噌汁はお前が作ったのか?」
男はいきなり会話が成り立たないような、突拍子もないことを言った。同時にアルは訳がわからず眉間にしわを寄せる。一方キャロルはそうよ、と不思議そうに答える。それがどうかしたの、とも。
「いや、美味しかったなあと思って」
俺も味噌汁は作れることは作れるが、あそこまで美味いものは作れない、と微笑んで言えば、キャロルは嬉しそうにそんなことないわ、と頬を染めて言う。他にもまだ小さいのに家の手伝いをよくして偉い、とも。ついにはお嫁に欲しいくらいだとまで言った。アルはわからなくてますます首をかしげる。
「いやだ、本当?」
「ああ。きっと良いお嫁になれるだろうよ」
そうかしらあ、と両頬に手のひらを当てて恥ずかしそうにしている。男が何をしているのか、アルにはさっぱりわからない。
「ところでキャロル」
出来れば今もってる飴玉を、俺に二、三個くれないかな、と言い右掌を差し出す。
「良いわよ、あげる!」
そう言って持っていた袋から、白に桃色と黄色の線の入った飴玉を二つ、男の右手の上に落とした。男はありがとう、と言って内ひとつを口入れた。
「それじゃあ私、用があるから」
そうしてキャロルは機嫌良さそうに鼻歌なんか歌いながら、神社を出て行った。
「あいつ、今朝僕には寄こさなかったくせに!」
アルは憤慨して立ち上がった。男は声を上げて笑う。
「しっかり見たか?これが『喜車の術』ってやつだ」
相手をおだてて隙をつく、それが喜車の術。まあ、今やって見せたのは応用みたいなもんだけどなと言う。そうして右手に持った飴玉を差し出し、アルはそれを納得いかないという顔をしたまま受け取った。
「…そんなことだったら誰にだって出来るじゃないか…」
「そうだよ。それが忍術ってやつだ」
忍も元は人間だからなと、口の中で飴玉を転がしながら言う。
中にはそんなことも忘れて、心ひとつ動かさずに殺しをやってのけるおっかないやつもいるけどなと、遠い目をして言った。忍なんざロクでもないよ、とも。
この男には常に違和感と言うものがついて回っていると、アルも新宮家の皆も口にこそ出さないが思っている。
まるで一家の母のように家事をこなすかと思えば、学を志すもののように難しい顔をしていたり、年老いた老人のように縁側で猫を可愛がったり、かと思えば凛として掏りを追ってみたりもする。そしてどんなときでも、何があってもその後かその常に笑顔を絶やさない。しかし、その笑顔もなにか不自然さを与える。
どこか冷めている、ような気がする。
アルが男に声をかけようとする前に男はすっくと立ち上がり、腹が減らないかと言う。ああ、まあ。なんて適当な返事を返すと家に帰って、この前姉妹に貰った菓子が残っていたはずだからと微笑む。
結局、アルの『忍と忍術に関する研究』の第一歩は挫け気味に終わりそうである。
はあ、とひとつため息をつくと既に神社の鳥居のあたりに居た男がにやりとやって、「よく見てろよ」、と言う。
そうして言うや否やこちらに走り出したと思うと、次の瞬間姿が消える。それが消えたのではなくて上に飛び上がったのだと気が付くのは、家に帰って男の向かいで無理矢理茶をすすっているときであるが。
「ちゃんと見てたか?」
驚き肩を跳ねて振り返ると、すぐ後ろにいたずらっぽく肩目をつぶる男が居た。右手の親指と人差し指で飴玉を摘んでいる。そうしてそれを口に入れると、がりがりとくぐもった音を立て噛み砕き飲み込んでしまった。
急いで自分の右手を見ると、握っていたはずの飴玉は、そこにはなかった。
……まったく気が付かなかった……。
この男だけは間違えても敵に回してはならないと、アルは黙って頷いた。
●2007年3月02日
やっぱり三毛猫と忍者モエ(笑
アルは結局貧乏くじをひくタイプかもしれない。
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